サッカー日本代表のバヒド・ハリルホジッチ新監督(壇上の右から2人目)の来日会見には多数のメディアが詰めかけた=2015年3月13日、東京都港区(中井誠撮影)【拡大】
サッカーの例を挙げれば、日本サッカー協会は12日の理事会で、日本代表監督に前アルジェリア代表監督のボスニア・ヘルツェゴビナ出身のバヒド・ハリルホジッチ氏(62)を起用することを決定した。メキシコ出身の前監督、ハビエル・アギーレ氏(56)は、八百長試合への関与で告発され解任されたが、1992年のJリーグ発足以降の代表監督延べ11人(代行を除く)のうち、代表監督のうち8人が外国人である。つまり、監督は愛国主義ではなく能力によって決められ、その監督が指導するチームが視聴者の愛国主義を高揚しているという奇妙な仕掛けがあるわけだ。
監督が外国人であれば、文字通り「国際協調主義」によってプレーされているのだが、なぜだかテレビ放送では、「NIPPON」の大合唱である。
筆者はハリルホジッチ監督の出身地に3度行っている。名声と金を得るため、スポーツ選手としてトップを目指す人が多いのは、サッカー大国のブラジルと類似である。
「無関係」という錯覚
かたや、日本の国技である大相撲は国際化が進み、日本人横綱が絶えて久しいが、外国籍のままでは、親方つまり監督にはなれない。横綱の白鵬や日馬富士、引退した朝青龍らはモンゴル人であることを誇りにして土俵に上がり、そのことを非難する声はほとんどない。その点では、日本人の国際意識向上に貢献しているといえる。