戦後は、パラオにある戦友たちの慰霊碑維持に尽力してきた。体調が万全でない今も東京から往復し、碑の清掃など「戦友としての務め」を続けている。アンガウル島の碑は台風などで破損していたが両陛下ご訪問を控え、修復を1週間前に完了できた。大きな節目を迎えたが、慰霊は生涯続く。「現地との交流を通じ慰霊碑が『友好の碑』になってくれれば」とも願う。(ペリリュー島 今村義丈/SANKEI EXPRESS)
■ペリリュー島の戦い 1944(昭和19)年9月、フィリピンへの進撃を目指した米軍が、日本軍の飛行場があったパラオのペリリュー島に上陸し、激戦となった。日本軍は島に張り巡らした塹壕(ざんごう)や洞窟に身を隠しながらゲリラ戦を続けたが、約2カ月半で守備隊約1万人がほぼ全滅。生き残った34人はその後も約2年半にわたり、密林や洞窟に潜伏した。近くのアンガウル島でも約1200人が死亡、パラオ全体での戦死者は日本が約1万6000人、米軍も2000人近くに上った。2島の住民は別の島などに疎開していたが、中心地コロール島の街も空襲で壊滅した。