二十絃箏は一般的な箏である、弦が13本の「十三絃箏」に低音域の8弦を足し、1969年に開発された新しい箏。「音域が広くて音の幅が深い分、いろいろな音楽とコラボレーションできる可能性がある点に引かれた」。盛岡から遠路、東京の師匠のもとまで教えを請いに通うようになる。
音楽大学への進学を勧める周囲の反対を押し切り、慶応大学に進学して国際関係論を学んだ。「芸術は政府が支援する面もある。文化はあらゆることとつながっていて、音楽以外のことも知りたくなった」と笑う。
並行してコンピューター音楽の研究室に所属。インターネットが本格的に普及する前で、まだ走りだったプログラミングによる音の打ち込みを研究、演奏家としての活動に大いに役立つこととなる。「音楽と勉強を絶対に両立させる」と、在学中にも数々のコンクールで入賞を果たし、卒業後は東京を拠点に本格的な演奏活動に入る。