【アートクルーズ】
会場に一歩足を踏み入れた瞬間から、「彼女」の気配を感じる。彼女の息吹が、立ち居振る舞いが、残り香が、いくつもの影が、展示室の隅々まで染み渡り、いつのまにか見る者の心の奥にまで入り込んでくる。
「彼女」とは、山口小夜子(さよこ)。1970年代に、アジアで初めての世界的なトップモデルとして、知らぬ者がいないほどの成功を収めた。が、21世紀に入ってからは、前ほどはその名を聞く機会もなかった。2007年に急逝してからは、なおさらだった。だから、こんなふうに、いささか唐突に彼女が復活するとは、思いもしなかった。しかも、展覧会というかたちを借りて。
全てを受け入れたモデル
本来、モデルは忘れられる存在である。年を重ねるほど、心の襞(ひだ)が存在感を高める女優と違って、モデルとは、いわば着せ替え人形、つまりはマネキンにほかならない。余計な内面など、むしろ邪魔だ。主役は、あくまで衣服でなければならない。だからモデルは、成功すればするほど、そんな宿命からの脱却を目指す。人形の代わりなら、いくらでもいることがわかっているからだ。しかし、山口小夜子の特別な存在感は、そうした使い捨ての人形とは、まったく違っている。しかもそれは、モデルから卒業するのではなく、まったく反対に、生涯にわたってモデルに徹することで得られている。