何度も裏切られ…
「拉致を認めておきながら、いまだに人質外交として苦しみを長引かせている」。拓也さんは北朝鮮を強く批判した。何度も裏切られ、うちひしがれた。
めぐみさんが誕生する前、「拓也」という名前が用意された。生まれてくるのは男児だと思われたからだ。その名前を受け継いだのが拓也さん。もう一人の弟は哲也さんだ。
「2人も弟が生まれよ」。めぐみさんは周囲に自慢して回った。姉が忽然(こつぜん)と姿を消した後、小学生だった拓也さんらは母、早紀江さん(79)と一緒に新潟市の海岸を捜して歩いた。疲れても、痛くても。食卓は明るさを失い、家族旅行もなくなった。そうした状況を「わがこととしてとらえてほしい」と言う。
拓也さんにとって米国は思い出深い。9年前の4月、早紀江さんが米下院公聴会で「なぜ、助けられないのか、口惜しくて、悲しくてたまりません」と涙ながらに訴えた際、拓也さんは後ろで、北朝鮮が提供してきた拉致された直後とみられる不安げなめぐみさんの写真を掲げてみせた。