主人公の「動き」よりも、「内面の旅」に焦点をあてた。居酒屋で隣り合った男に亡き父親を重ね合わせ(「化野」)、佐渡の荒波に今ここにいない女を思う(「宿根木」)。「ドラマにしようと思えばできるんですが、『日常』こそがドラマだと。生きるとは山の稜線(りょうせん)を歩いているようなもの。どちらに転ぶか分からない。彼岸を浮遊して、漂って、再び此岸(しがん)に戻るその揺れをきめ細やかに書こうと。小さな死のレッスンを積み重ねて、今ここに自分があることを考える…そんなことをやっていますね」
無限性に打たれる瞬間
本作の執筆の衝動を、「トスカ」と表現する。「若い頃は、四季の変わり目に敏感でした。アスファルトを転がる枯れ葉の音とかにはっとしてしまう。『世界の無限性に打たれている瞬間』です。これってなんだろうと思っていたとき、沼野充義さんがチェーホフを新訳されて、その文学性を表現するのにロシア語で『憂いもだえる』という意味の『トスカ』という言葉を使っていたんですね。『それに近いな』と。でも40代の後半からトスカを感じることがなくなって『もうダメかな』と思っていたのですが、50代になって、唐突に幼いころの歌を思い出したり、切迫するような感情がよみがえってきた。トスカに自失し、扉がバッと開いた感じ。ヤバイと思うと同時に、世界の秘密を捕まえられるかもしれないと感じた」