拉致被害者の家族(右側)と面会、救出に向けた決意を表明した安倍晋三(しんぞう)首相(左から2人目)=2015年4月3日、首相官邸(酒巻俊介撮影)【拡大】
そうした懸念は杞憂(きゆう)では終わらなかった。「夏の終わりから秋の初め」とされていた初回報告はほごにされた。日朝交渉関係者は「合意文書のボタンの掛け違いが、結果的に交渉を長期戦へと誘った」と振り返る。
ただ、政府には合意が「藪の中」ぐらい曖昧なものでも、応じなければならない理由があった。
「交渉窓口をこじ開けるのにどれだけ苦労したことか。これがダメになったら何年もかかる。そこが生命線だ」
政府高官が昨年10月上旬、日本政府担当者の平壌派遣を決断した理由を苦渋の表情を浮かべ周辺に漏らした。北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使が昨年9月、特別調査委員会の初回報告を先送りした揚げ句、日本政府担当者の平壌派遣を突如、政府に打診。安倍晋三首相は成果が見込めない派遣の是非について決断を迫られ、結局、誘いに応じたのだった。