そもそも、ねぶたという祭の起源は諸説あるようだ。河合清子の『ねぶた祭 “ねぶたバカ”たちの祭典』(1)によると、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に敵をおびき出すために大灯籠をつくったという伝承が紹介されている。また、柳田國男の書いた『年中行事覚書』(2)には「眠流し考」というページにこんな言説が記されているという。暑く農作業も忙しい夏に睡魔を遠ざけるため、1日で7回水浴びをして7回ご飯を食べるという「眠り流し」の風習。それが七夕行事とくっつき、「ねむた流れろ、豆の葉はとまれ」と唱えながら、灯籠や人形を川に流す行事になったとか。「ねむた」から「ねぶた」になったという説である。
そんなこんなのねぶた祭だが、最も大きな特徴として挙げられるのは、寺社が司るのではなく街の行事(民族風習)として自然発生的に広まった点だろう。つまり、寺の檀家でもなくとも、神社の氏子でなくても、誰でも参加できる祭ということだ。ハネト(跳人)と呼ばれる踊り手の衣装を身につけていれば、どんな人だって踊りの列に加わることができる。そして、前日の弘前ねぷたでは沿道からの見学のみだった僕が、翌8月4日の青森ねぶたでは急遽(きゅうきょ)参戦することになったのだ。知人の紹介でみちのく銀行の運行に交ぜてもらうことになったのである。