せっけん製造工場を営んでいた田淵さん夫妻。司法書士事務所に勤めていた長女、陽子さん=当時(24)=は、次女、満さん=当時(19)、三女、純子さん=当時(14)=の親代わりだった。
陽子さんは毎年、ボーナスが出ると妹たちを旅行に連れていった。満さんは「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と陽子さんにべったり。純子さんは姉の化粧道具に興味を持ち始め、勝手に使ってけんかになる。そんな日常が突然、奪われた。恒例の旅行で東京ディズニーランドとつくば万博へ行った帰りだった。
「わしらの時間は止まった」。遺体の損傷が激しく、身元は歯型や衣類の一部で分かった。3人並んで座った旅行中のネガフィルムが遺品のカメラに残っていた。
輝子さんは酒が手放せなくなった。酔って頭をぼうっとさせたまま河原を歩く。飛行機の音がすると空を見上げた。「あれに乗って帰ってくるかな」
夫妻の心の支えが尾根でのひとときだった。「娘たちは焼けちゃったでしょう。だから、いつもたくさんの水を墓標にかけるの」。事故直後の開山期間は、毎月のように登った。その後も、体調に問題がなければ年3回は御巣鷹に向かい、寂しさを紛らわす。