番組進行を担う立場にもかかわらず、オンエア中にスタジオで鳥肌が立ちました。「(来年の夏は)ブラジルにはいますよ、みんなで」。ワールドカップバレー開催を告知するVTRでの全日本男子、清水邦広選手の一言です。代表合宿中の体育館の端で、シューズのひもを結びながら、自分に言い聞かすようにつぶやいた言葉でした。彼のバレーボール人生のすべてが詰まった言葉のように聞こえました。
思い知らされた世界レベル
日本男子は前回のロンドン五輪出場を逃し出場した北京五輪から7年が経過しました。春高バレーのころから注目され、「期待の新星」と呼ばれた当時21歳のサイドアタッカーも8月11日で代表最年長の29歳になりました。
振り返れば、北京五輪出場を決めた世界最終予選は今も記憶に鮮明です。最終戦でフルセットの末、強豪アルゼンチンを下し、16年ぶりの五輪出場を決めたあの試合です。勝利を決めて東京体育館のコートに植田辰哉監督が倒れ込んだ瞬間、止まっていた日本男子バレー界の時計は未来に向かって確実に時を刻み始めたかと思われました。
男子もかつて黄金期がありました。1964年の東京五輪で銅メダル、続く68年のメキシコ五輪では銀メダルを獲得し、72年のミュンヘン五輪でついに金メダルに輝きました。