しかし、その後は技術、フィジカルとあらゆる面で世界から後れを取りました。日本国内でも、バレー人気は女子が中心になりました。北京五輪から全日本男子が巻き返しを図るはずだったのです。
北京の地で思い知らされたのは、世界とのレベルの違いでした。1次リーグ5戦全敗。五輪で初めて一勝も挙げることができない惨敗に終わったのです。帰国の途に就くメンバーの中で、ひときわ悔しそうな表情を見せていたのが清水選手でした。「何もできませんでした…」。そして、「世界に通用することを証明したい」と声を絞り出しました。2つの強い思いが、その後の清水選手を突き動かすことになります。
意識したのは常に世界。「世界で通用するにはどうすべきか」を考え、コートに立ち続けてきました。その道は決して平坦(へいたん)ではありませんでした。男子は出場すら果たせなかったロンドン五輪で、女子は銅メダルを獲得し、完全に明暗が分かれました。
「勝負どころで決めきれないアタッカー陣」「大事なところでミスが出るサーブ」「大事なセットの終盤で出る精神的な弱さ」。エースとして、批判をすべて受け止めてきました。