70年代に入った日本の音楽シーンは、グループサウンズの時代が終わり、吉田拓郎や荒井由実のヒット曲とともに“ニューミュージック”という言葉が登場するようになった。それらが日本のフォークやロックの延長線上にあったのに対し、シュガー・ベイブは日本語で歌っているものの、完全に洋楽の感覚を持ち合わせた、全く違うスタンスのものだった。両親の影響で洋楽好きだった私は、子供の時にラジオから「DOWN TOWN」が流れてきたのを聴いて、イントロにしても歌い出しのメロディーやハーモニーにしても、日本にこんなにオシャレな音楽があるなんて!と驚いたことを、今でも鮮明に覚えている。
インターネットが普及した現代、時代も国境も越え音楽を容易に試聴できるし、テン年代のシティーポップの中には90年代に一世を風靡(ふうび)した“渋谷系”と呼ばれる音楽の影響もあるだろう。けれど70年代当時、20、21歳の若者が環境の整わない状況、今でいうインディーズ感覚で自分たちのセンスを貫き通した「SONGS」は実験的な試みも旺盛で、J-POPの原点と呼びたくなる、揺るぎないものがある。山下達郎の才能はもちろん、共同プロデュースに加え、レコーディングエンジニアとしても手腕を振るった大瀧詠一の功績がとても大きい。