報道陣に公開されたスーパーカミオカンデ内部。たくさんの光電子増倍管が並ぶ=2006年4月7日、岐阜県飛騨市(山田哲司撮影)【拡大】
≪小柴氏ら師に恵まれ花開く≫
梶田氏は、2002年に同じ賞を受賞した小柴昌俊東京大特別栄誉教授の門下生。小柴氏やその後継者の戸塚洋二氏(08年に死去)ら指導者に恵まれ、地道で粘り強い「実験屋」の才能が花開いた。
小柴氏は「梶田は大学院生のころから詳しく調べ、スーパーカミオカンデでもずっと1人で続けていた。戸塚という良いボスに応援され、ニュートリノ振動の発見に最大の寄与をした」と教え子の業績をたたえる。
「あまり目立たない静かな子供だった。クラスのリーダーはやりたくないというタイプ」と言う梶田氏。物理に興味を持ち始めたのは高校時代で、自然法則をシンプルに「きれいな式で表せることが魅力だった」と振り返る。
埼玉大では「あまりまじめに勉強する方じゃなかった」が「素粒子の実験的な研究をしたい」と、東大大学院の小柴研究室のドアをたたいた。このころニュートリノ観測装置「カミオカンデ」は試作段階。研究室の紹介資料にも書いておらず、梶田氏はニュートリノの存在自体を知らなかった。