その後、ターンテーブルとギターの即興演奏で、90年代は欧米を巡り、あこがれだった音楽家たちとの共演も30代で実現させた。しかし、アバンギャルド(前衛)な音楽の文脈の中で技を磨いてきたころを、大友良英さんは「深い穴を掘って周りが見えなくなっていた」とクールに分析する。
そして、「プロでない人たちとつくる音楽」をより強く意識し、実際の行動までつなげた転機が、東日本大震災だった。いまでも毎月のように、被災地の福島に赴き、「プロジェクトFUKUSHIMA!」などのさまざまなイベントに関わっている。
福島の状況を目の当たりにしたとき、「それまでやってきたことをリセットしなければならない」「自分の好きな世界の中だけで自分の納得いくものをつくっているだけではダメなんだ」と思った。
年齢的に責任ある
原発などの社会的な問題についても「関わってこなかった」という責任を感じた。大嫌いだった音楽の授業もいまだに“温存”され、続けられている。「年齢的にも責任があるし、これだけのキャリアがあれば、もしかしたら、自分が言ったことで、変わる可能性があるかもしれないと思い始めた」