【アートクルーズ】
美術団体からの脱退、「東京展」開催での協力、「顔」というモチーフ。川崎市ゆかりの反骨の画家、岡本太郎(1911~96年)と中村正義(1924~77年)には、知られざる共通点や接点があった。「岡本太郎と中村正義『東京展』」(川崎市岡本太郎美術館)では、1970年代という激動の時代、美術の変革に打ち込んだ2人の情熱が浮き彫りになる。
自由求め、組織を脱退
くしくも2人に共通していたのは1961年、岡本が二科会を、中村が日展を脱退したことだ。最新の美術を学びパリから帰国した岡本は二科会に所属し、内部から組織の変革を試みたが果たせなかった。34歳(58年)の中村は、着物の前を開き裸身をさらした舞妓の日本画を構想するが、師の中村岳陵から「皇室がご覧になるのに不謹慎」とたしなめられ、旧態依然とした日本画界に嫌気がさしたと伝わる。