会見で、生活の党の政権公約をまとめた冊子を手にする小沢一郎代表=26日午後、参院議員会館(酒巻俊介撮影)【拡大】
生活の党の小沢一郎代表が苦しんでいる。衆院解散直前まで模索した新党構想は不発に終わり、側近らに離党を促す窮余の策に出た。生活の党も自らも展望がないことを証明したようなものだ。47歳で自民党幹事長に上り詰め、「剛腕」の名をほしいままにした小沢氏は「過去の人」になりつつある。
「今回の選挙は政権交代を目指す選挙戦にはならなかった」
24日、岩手県一関市内で開かれた生活の党岩手3区総支部の会合。小沢氏はあいさつで、今回の衆院選について早くもこう語った。こんなことを言うのも、自ら目指した最善の形が実現しなかったためだ。
「壊し屋」過去のこと
政党の離合集散で常に中心にあり、「壊し屋」ともいわれた小沢氏だが、ここ数年は思い通りに物事が進まず、政治力も確実に低下している。
平成24年7月、消費税増税に反対し、民主党から約50人の議員を引き連れて「国民の生活が第一」を結成した。増税反対で民意をつかめると踏んだのだが、そういう見通しがないと分かると、同年11月の衆院解散を受けて、当時の嘉田由紀子滋賀県知事を口説いて、日本未来の党(代表・嘉田氏)の結党に参加、原発ゼロを目指す「卒原発」を掲げて衆院選に臨んだ。それでも惨敗した。
直後に嘉田氏側と対立し、未来の党は空中分解。小沢系が居残る形で名称を生活の党に変えた。
今回、衆院解散の気配をいち早く察知した小沢氏は民主党などを巻き込んだ野党統一戦線の形成を模索した。狙いは「選挙協力や選挙区調整よりも、最も効果が出る新党の結成」(生活幹部)だった。だが、小沢氏が絡む新党構想に、多くの野党幹部らは警戒した。