11年前の2004年8月に行われたアテネ五輪は、欧州経済を揺るがすギリシャ危機の発端ともいわれる。20年東京五輪・パラリンピックの主会場建設問題で揺れる日本にも学ぶべき教訓が多い。
アテネ五輪の開催費用は当時、近代五輪史上最大の約90億ユーロ(約1兆2480億円)に上った。五輪発祥の地の威信をかけ過去の大会を上回るものを目指した。地下鉄、空港などの大規模交通インフラも一挙に整備。空港施設が入居する巨大な「ヘリニコ複合競技場」など22もの施設を建設した。同競技場を五輪後に欧州有数の自然公園として整備したり、アテネ南の3つの競技場を遊歩道で結び市内の観光名所にするなど、大会施設の有効活用と交通インフラ整備で観光立国のブランド力を高め経済成長に結びつける計画だった。
しかし、これは皮算用に終わった。ギリシャより観光費用が安いクロアチアやトルコなどの近隣諸国に客足を奪われ、遊歩道がごみ捨て場になるなど、巨費を投じた関連施設は政府の不良資産と化した。英紙インディペンデントによると、大会用に建設した22施設のうち、現在も使われているのはわずか1施設。ほとんどは財政危機の中で投げ売りされることになった。