
インタビューに答えるマック赤坂氏(松本健吾撮影)【拡大】
「そのほかにも、吉田寮の隣の家の小学生を教える家庭教師をしていたんだけど、ピンチヒッターで入ったそいつがその子の親とできちゃって…。巻き添えで俺がクビになっちゃった。体裁が悪かったんだろうな。仙人みたいなひげを生やした主のような人がいたり、今は何してるんだろうな。あんな人だから死んでしまっているかもしれない。家庭教師の奴は会ったら『おまえのせいでひどい目に遭った』と文句を言ってやりたいね(笑)」
--やはり家計が助かりましたか
「仕送りがほとんどなかったからね。姉は高校で我慢してくれた。兄は3浪か4浪してやっと学習院大に入った。学費は肉体労働、ラブホテルの布団敷き、家庭教師、いろいろやって稼いだよ」
--授業はどうしていたんですか
「出てないよ。学生紛争に助けられた。テストがなくなったから」
--農学部では何をやっていたのですか
「食品工学科ってところ。でもね。東大には行けず、二番手の京大に行った。当時はけっこう裕福な学生もいてね。海外旅行に行ったり、留学したり、半分くらいはもう豊かな連中だった。そんなときに人間力、雑草魂が生まれるよね。反骨心が支えになったよ」