
岩屋毅衆議院議員(左)とコンベンションリンケージの平位博昭代表取締役【拡大】
平位博昭代表取締役 日本におけるMICEビジネス、つまりコンベンションビジネスについて簡単に振り返ってみたいと思います。舞台となる本格的な施設は、1956年の大阪・朝潮橋の見本市会場が最初でした。59年には東京・晴海にも見本市会場が完成します。64年には東京五輪が開かれ、そして66年にいまも稼働している国立京都国際会館が建設されました。このあたりが、揺籃(ようらん)期といえます。その後、80年代になると、大ブームが起きます。ソフト(コンベンション運営会社)、ハードとも新規参入ラッシュがあり、日本の各地にコンベンション施設が建設されたり計画されたりするようになりました。アリーナやスタジアムも含め現在の日本の施設は、このころに竣工(しゅんこう)、あるいは計画されたものが中心です。その後、日本経済はバブル崩壊やリーマン・ショックなどに襲われ、失われた20年に突入していきます。しかし、その前までは世界のコンベンション業界の中でハード、ソフトともトップレベルだったと思います。失われた20年を経て、日本のコンベンション施設環境はアジアの中でも遅れてしまったと言わざるを得ません。そうした中で今、政府が推し進めるMICE戦略もあり、またインバウンドビジネスの観点からも再度注目を浴びています。では、今後どういった視点でこの動きを進めるべきでしょうか。大都市と地方では規模も含め当然戦略は違ってくるでしょうが、共通キーワードはコンプレックス(Complex)です。かつては会議場、展示場、ホテルを3点セットと称しコンベンションセンターの完成形を意味しましたが、国際競争が激化した現在ではショッピングセンターやエンターテインメント・アミューズメント施設、アリーナなど、さらなる複合化(コンプレックス化)が求められています。この「複合化」はIR推進法のIと同義だと思います。今後日本のMICE戦略が成功するためには、コンベンション施設の機能をどう多様化、複合化していくかにかかっているように思います。カジノなどもその一つかもしれません。