小曽根真×真山仁対談

(中) 神戸“縁”のふたりが想う二つの震災 (1/3ページ)

 ジャズ・ピアニストの小曽根真と小説家の真山仁という意外な2人の対談が実現した。2人はともに神戸に縁があり、しかも、同世代。音楽、小説、そして人生を忌憚(きたん)なく語り合った。(前回の記事はコチラから)

 阪神・淡路大震災のあの日が、その後の生き方を変えた

 小曽根真(以下:小曽根) 真山さんから新刊の『それでも、陽は昇る』をいただきました。この作品は、阪神・淡路大震災(以下・阪神)と東日本大震災(以下・東日本)をつなぐ物語なんですってね。

 真山仁(以下:真山) 1995年の震災の時、私は震源地から10キロほどしか離れていない7階建てのマンションの1階に住んでいました。揺れている時は、「ああ、こうやって死ぬのか」と死を覚悟しつつ「こんなんで死ねない!」とも思ったのを覚えています。神戸出身の小曽根さんは、震災の時もご自宅が神戸にあったとか。

 小曽根 僕の場合、ちょっと申し訳ない被災体験なんです。震災の前日にハワイに旅行に出かけまして。ハワイに到着してテレビをつけたら、阪神地区が大変なことになっている映像が出て……。ショックでした。すぐに、父に電話して無事を確認した上で、地元に帰りました。真山さんが、震災体験を小説にしようと思ったのは、いつからですか。

 真山 「阪神」の時は、まだ、フリーライター業をしつつ、小説を投稿していました。幸いにも大きな被害を受けず、生き残ったことを後ろめたく感じてしまった。小説家デビューしたら、必ずこの時に考えたり感じたりしたことを小説に書くぞ! と心に期しました。なのに、『ハゲタカ』でデビューしても、なかなか機会がありませんでした。悶々としているうちに2011年の東日本大震災が起きてしまいました。それで、二つの震災を繋ぐ小説を書くと決めて、積極的に動きました。

 小曽根 僕は、被災者として取材に応じて欲しいという依頼を断っていました。語る資格ないやろと。でも、演奏ならできる。それで、とにかく演奏できる機会があれば、どこへでも行きました。

 真山 神戸のFM局であるKissFMでパーソナリティを務めていた番組を、いち早く再開されたと聞きました。

 小曽根 そうですね。あれは、スポンサーの社長と僕が友人だったこともあって、ずっと被災状況を伝える放送ばかりじゃ辛いから、地元の人を応援するために、番組を再開しようと決めたんです。局は、自粛ムードを気にしていましたが、強引に始めてしまって。

 真山 ちょっとコロナ禍でのFacebookライブに似ていますね。

 小曽根 思い立ったらすぐ動く性格なんです。でも、結果的に大きな反響があって、喜んでもらいました。あの時も、リスナーから「スピーカーの前で、正座して聴いてます」とファクスがきて、やって良かったと思いました。

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