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津村節子さん「三陸の海」刊行 夫が愛した村 見つめ直す

ニュースカテゴリ:暮らしの書評

津村節子さん「三陸の海」刊行 夫が愛した村 見つめ直す

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「田野畑村にかかわりがある、いろんな方が感想をくださった」と喜ぶ津村節子さん  作家の津村節子さん(85)が、東日本大震災の爪痕が残る岩手県の田野畑村に足を運び、私小説『三陸の海』(講談社)を書き上げた。太平洋にそびえ立つ鵜の巣断崖の絶景で知られる村は、夫の吉村昭さんの出世作『星への旅』(昭和41年)の舞台にした特別な場所。村と夫婦のかかわりを見つめ直した執筆の日々を、「これほど多くのことを私たちに刻みつけていたのかと感慨深かった」と振り返る。(海老沢類)

 長崎市内の史料館で行われた吉村昭コーナーの開設セレモニーに出席していた「私」に、震災の一報が入る。大津波に襲われた三陸地方は新婚当初に行商に出た思い出の地。なかでも人口4千人ほどの田野畑村には吉村の文学碑があり、家族でたびたび訪れていた。夫が生きていたら、津波に襲われた三陸の姿を見てどんなに悲しんだだろう-。懐かしい記憶を胸に「私」は震災の翌年、田野畑村へ向かう…。

 「連載は下準備に10年をかけることもあるのに、今回はいきなりだったんです」と津村さん。村への被災見舞いが実現したのは一昨年の6月。そのときの情景も盛り込んだ本作は、同年秋から文芸誌で連載された。

 吉村さんが知人の薦めで初めて村に足を運んでから50年余り。当時、在来線や車を乗り継いで東京から2泊3日もかかる陸の孤島に、吉村さんは取材メモも持たずに、毎年のように通った。〈どうしてあなたはこういう不便なところが好きなの〉-。小説の推進力となるのは、夫へのそんな問いかけだ。震災後に訪れた村では、海岸近くにあった建物はほとんど失われていた。一方で、鵜の巣断崖から続くリアス式海岸の絶景は以前と変わらぬ雄大さをたたえていたという。

 「当時激務に疲れ切っていた吉村が、断崖の下で砕け散る波を見たことで生き返り、出世作となる小説の想を得た。あの絶景を見せたいがために、家族や友人たちを連れて行ったんですね」

 辺地医療を志して移住してきた医師、大資本に頼らずに住みやすい土地を目指した村長…。豊富な挿話から、村で暮らす人々の温かさが浮かび上がる。仮設住宅で暮らす村民を訪ねる場面は象徴的だ。不自由な生活に耐える住民の順応性に驚く「私」に、ある村民は〈そう決めたんです。もういいや、って〉と笑いかける。「誰も恨みごとや愚痴を言わない。みんな多くを望まず、慎ましやかに暮らすことに慣れているんですね」

 本作の刊行前、作中にも登場する前村長の早野仙平さんの訃報が入った。「吉村が村を訪れたのは、そこに暮らしている人々の穏やかさにひかれたからでもある。早野さんにも、この本を読んでもらいたかった」

【プロフィル】津村節子

 つむら・せつこ 昭和3年、福井市生まれ。学習院短期大学国文科卒。28年に吉村昭さん(平成18年に死去)と結婚。39年に「さい果て」で新潮社同人雑誌賞、40年に「玩具」で芥川賞、平成2年に『流星雨』で女流文学賞。23年には「異郷」で川端康成文学賞、『紅梅』で菊池寛賞を受賞した。ほかの著書に『智恵子飛ぶ』(芸術選奨文部大臣賞)『遍路みち』など。

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