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気付けば父と同じ道に… 明治大教授・演出家 福田はやるさん

ニュースカテゴリ:暮らしの生活

気付けば父と同じ道に… 明治大教授・演出家 福田はやるさん

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「いくら心で思っても、形で見えないとお客さんに伝わらない。父の演劇には心を見せる形がありました」と話す福田●(=勉の力が「、」ににてんしんにゅう)さん(野村成次撮影)  シェークスピア劇から新作歌舞伎の演出や戯曲の翻訳も手掛ける明治大学教授の福田●さん(66)。父親は、劇作家で翻訳家、そして戦後を代表する保守の評論家として知られる福田恆存さんだ。

 「知らない人には厳しい父親だろうと思われていますが、ごく普通の父親。トランプや花札をやったり、箱根で山登りをして温泉に1泊したり、当時としては当たり前の娯楽を一緒にしてくれた。陽気で冗談好き。いつも私や兄を笑わせてくれる、家族の笑いのペースメーカーだった」

 仕事で海外を訪れることも多かった恆存さんは、旅先からよく手紙を送ってくれた。印象に残っているのが高校時代、受験先を私立大学1本に絞ろうとしていた頃にもらった「最後まで選択のひもを離すな」と書かれた手紙だ。恆存さんはシェークスピア生誕400年に関連した仕事で英国に滞在していたが、旅先から●さんの将来を案じ、アドバイスしてくれたものだった。

 「私立文系の受験に数学は必要ないが、『自分は物を書く商売だけど、数学は物事を論理的に考えるのに非常に役立っている』とよく言っていた。『東大は教師はだめだが、友人は良いのがいる』とも。もしかしたら東大を受験してほしかったのかもしれないが、私が上智大だけを受験すると決めたときは特に反対しなかった」

 やはり高校の頃、恆存さんに「親の書いた物なんか読むんじゃない」と言われたことがある。家の食堂に母親と3人でいたときのことで、笑いながらだが、はっきりと言われたのを覚えている。

 「当時、僕がシェークスピアにかぶれていたのを見て言ったのかな。ただ、その頃、既にシェークスピアの翻訳で父の文体のリズム感を学んでしまっていた。『読むな』と言われても、家にある雑誌を開くと、父の文章が掲載されている。私は父の文章のリズム感が好きで、読むと心地が良いのでつい読んじゃいましたね」

 ●さんが戯曲の翻訳や舞台演出の道に進んだのは、明らかに恆存さんの影響だ。恆存さんは、●さんが幼稚園の頃から芝居や歌舞伎を見に連れて行ってくれた。●さんは華やかな舞台に見とれ、夢中になったという。ただ、一緒に見ていた3歳上の兄は全く興味を示さなかったといい、演劇好きの恆存さんのDNAは●さんだけが受け継いだようだ。

 「父に引きずられて芝居を作ることに魅せられた私は、父のエピゴーネン(模倣者)かもしれない。自分では全く意識していないのに、何をやっても気がつくと父の跡をたどっていた。これはもう、しようがない」。●さんは、自分が何を書いても恆存さん以上の文章は書けないだろうし、恆存さんの思想も超えられない。オリジナルな思想は自分の中から出てこないだろう、と感じている。

 しかし、こうも考えている。「私には私の書き方があり、今の時代に生きる私だからできることもある。父の手のひらの上かもしれないが、これからも私の感性と文章で表現したいと思う」(平沢裕子)

 ≪メッセージ≫

 私の人生、あなたの中で全部レールが敷いてあった気がするよ。だったら、とことんそこを走っていきます。それと、親父(おやじ)の評論集、戯曲集、対談座談集、ほぼ全部読んじゃいました。すみません。

【プロフィル】福田恆存

 ふくだ・つねあり 大正元年、東京都生まれ。東京大卒。評論、劇作、翻訳のほか、劇団「雲」(後に「昴」)を主宰。国語の新かな・略字化に反対した。昭和31年、ハムレットの翻訳演出で芸術選奨文部大臣賞。代表作に『人間・この劇的なるもの』『私の国語教室』など。平成6年、82歳で死去。

【プロフィル】福田●

 ふくだ・はやる 昭和23年、神奈川県生まれ。上智大大学院修了。恆存さんの演劇活動を継ぎ、シェークスピアから現代劇まで幅広く手掛ける。昨年11月の解散まで、財団法人「現代演劇協会」理事長。共著『誘惑するイギリス』、翻訳書にアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』など。

●=勉の力が「、」ににてんしんにゅう

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