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父は徹底的に突き詰める人 「ねこじゃらし」社長・川村ミサキさん
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湊さんが命名したかった「岬」は人名に使えず、カタカナ表記に。「今も漢字に変えろと父は言うが、なじんでいるのでこのままでいる」と話すミサキさん(日野稚子撮影) イラストや写真、音楽や映像など創造力が作りだした作品データをインターネット経由で共有するサービスを展開するIT企業「ねこじゃらし」(東京都港区)社長、川村ミサキさん(35)。父親は文芸評論家で法政大学教授、川村湊さん(63)だ。
ミサキさんは3歳から小学1年生まで、韓国・釜山で過ごした。湊さんが現地の大学で教鞭(きょうべん)を執っていたためだが、帰国後は生活が一変。「釜山では家にいなかった父が一日中、家にいて、食事と風呂と寝るとき以外はずっと本を読んでいる。勤めに行っているような友達のお父さんとは違うらしいと気づいたけれど、何をしている人かは分からなかった」
食卓は父の社会に対する評論の場で、「とにかく批判ばかり聞かされていた」。しかし、子供には放任主義。誕生日祝いもなく、もらったのは年に1度のお年玉だけ。「◯◯しなさい」と言われずに育った。
ミサキさんは大学生時代、インターネットベンチャー企業でアルバイトをしたのがきっかけで、パソコンを通じて世界中の人とつながる楽しさにはまり、家にこもった。4年になると周囲は就職を決めていくが、「父も好きなことをやろうと家にいたのを見ていたので危機感はなかった」と振り返る。
湊さんは自らの若かりし姿をミサキさんに見たのか。志を立てるのを見守っていた節がある。湊さんに何をしているのかと聞かれ、居酒屋でアルバイトをしてると話すと、「お前はばかか」と一喝された。しかし、ミサキさんがコンピューターで音楽の創作を始めたのを知り、必要な機材一式にと、数百万円を用立てた。「必要と思ったら書店の棚に並ぶ本をまるごと買う人。機材費を出すと言い出したのはびっくりしたけど、『お前がやりたいことなら仕方ない』と」
心配しているのに核心を尋ねてこない父の思いは伝わっていた。「父が世に出たのは20代後半、群像新人文学賞と聞いていた。僕も27歳ぐらいで社会に出ていないとまずいと思っていた」
ミサキさんはエンジニアとして、イラストや音楽を安全で快適にネット経由でやりとりできるファイル共有サービスを構築、27歳で起業を果たした。社名の「ねこじゃらし」は、命名で悩んだミサキさんが相談した際、父が発した言葉だ。ふざけた名前と言われたこともあるが、今、出版業界や音楽業界など2千社以上を顧客に抱えるまでに成長。クリエーターの創作活動を支えている。
「ベンチャー企業はマネーゲームの対象になりがちだけど、企業は本当に社会の役に立つと心から信じる事業で収益を上げるのでなければ、事業をやる意味はない。企業の品格の問題だ」と言い切る。その考えに到達したのは、徹底的に資料を読み込み、真摯(しんし)に地道に調べあげる湊さんの評論活動の影響によるものだ。
「文芸が一番高尚、他はくだらないなんて批判・否定的な発言ばかりを父から聞くが、裏打ち作業をしてきている。ものの見方は違っていても、そこは尊敬してるんです」(日野稚子)
自分の好きなことにとことん取り組む姿勢を学びました。飲み過ぎに気をつけて母さんと長生きしてください。
かわむら・みなと 昭和26年、北海道生まれ。49年3月、法政大学法学部卒業。55年、『異様(ことよう)なるものをめぐって-徒然草論』で群像新人文学賞を受賞、文芸評論家として活動を開始。平成2年、法政大学第一教養部助教授などを経て、11年、同大国際文化学部教授。平林たい子文学賞、伊藤整文学賞、読売文学賞などを受賞。
かわむら・みさき 昭和53年、千葉県生まれ。東京大学文学部卒、法政大学工科大学院修士課程修了。平成18年、「ねこじゃらし」を創業し、代表取締役に就任。