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【台風26号】「今度は山の津波にのまれた」 伊豆大島土石流 宮城の両親、息子の無事祈る

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【台風26号】「今度は山の津波にのまれた」 伊豆大島土石流 宮城の両親、息子の無事祈る

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 10月19日未明に生死を分けるとされる「72時間の壁」が迫るなか、伊豆大島(東京都大島町)の台風26号による災害現場では、18日も必死の捜索が続いた。行方不明者や犠牲者の中には、家族が東日本大震災の津波被害にあった人もいた。「今度は山にのまれちゃった」。生還を信じる悲痛な叫びになんとか応えようと、地元消防団も日が暮れたことも忘れて泥の海に挑んだ。

 「3人一緒だったはずなのに、どうしてあの子だけ見つからないの」。台風26号の襲来から3日目を迎えた18日朝の大島町役場。東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県名取市から駆けつけた渡辺照子さん(74)が、夫の勝萬(よしみつ)さん(76)の腕にすがりついた。

 神達(かんだち)地区に住む次男の那知勝さん(47)が、いまだに不明のままだ。妻の芳枝さん(45)は17日に遺体で見つかった。次女(15)は重傷を負って東京の病院に運ばれ、長女(18)は都心の大学に通い、難を逃れた。

 18日早朝にフェリーで島に着き、そのまま勝さんの自宅に。基礎もろとも流されていた。せめてもと、玄関があった場所の前に生える小さな草を持ち帰ろうと引き抜いた。転がる岩も何個か袋に詰めた。

 「あの時と同じ」

 目の前の惨状に2人は2年7カ月前の記憶がよみがえった。

 東日本大震災。津波は名取市閖上(ゆりあげ)地区にあった勝萬さん宅をのみこんだ。絶望する夫妻を、勝さんが励ましてくれた。交通網が混乱する中、島からフェリーや飛行機を乗り継ぎ、勝さんは水や食料をたくさん背負ってきた。芳枝さんは孫の写真を持ってきた。「(勝さんは)短気だけど優しい子。芳枝さんも良くできた嫁でね」(照子さん)

 サッカー少年だったという。東北高校で1年生からレギュラーを務め、県の優秀選手に選ばれたこともある。そのトロフィーは津波で台座部分を失ったが、夫妻は残りを見つけ、大切にしている。

 高校を卒業した勝さんはクリーニング店を経営していた勝萬さんの後を継ごうと、東京に修行に出た。そこで乳業メーカーに就職し、島から上京していた芳枝さんと出会った。

 芳枝さんは1人娘で、勝さんは婿養子になった。約15年前、島に移り妻の実家近くに居を構えた。芳枝さんの父、雄司さん(74)は「親を頼ろうと思ったはず」と冗談めかすが、勝さんは建設会社に勤め、一家は平穏に暮らしていた。その日常を土石流が奪った。

 重傷の次女は病床で両親を気遣うが、まだ現実は伝えていない。まな娘の遺体と対面した雄司さんは「早すぎるよ。これからどうしよう」と語りかけた。その様子をかたわらで見守った照子さんがつぶやいた。

 「津波の次は、山の津波にのまれちゃった」

 ≪72時間の壁「一刻も早く助けたい」≫

 大島町消防団北の山分団員、森田彰人さん(23)は10月18日も、神達(かんだち)地区で捜索活動にあたっていた。「72時間」を前に、「少しでも助かる人がいるならば」とスコップを握る手に力を込め、少しずつ土砂をのぞいていく。

 雨がぱらつき、再び土砂崩れが起きる危険性があるため、安全監視員が配置された。はるか南の海上では台風27号が北上中で、日本をうかがっている。

 島内8分団の団員計約320人に犠牲者はおらず、(10月)16日の発生直後から連日、捜索にあたった。帰るとどっと疲れが襲うが、翌朝には「消防団の制服に着替えると、それも忘れる」という。

 「この下に、島の人たちがいるかもしれない。一刻も早く、助けたいじゃないですか」。17日までの捜索では、60歳ぐらいの男性と30~40代の女性を救出できた。倒れた建物の隙間から助け出された人を担架に乗せながら、「聞こえますか」「もう少しで病院ですよ」と声をかけ、安心させた。

 入団は20歳。都立大島高校を卒業後、専門学校に通うため東京23区内に住んだものの、「自分は都会よりも島のほうが合っている」と帰郷した。「地元で困っている人がいる時、すぐに動ける人間になりたい」。大工の手伝いをしながら、いざという時には出動してきた。

 捜索の途中、土砂の上に落ちていた野球ボールを拾い、三原山と土砂で埋もれた斜面を見上げた。地区別の野球チームに所属しており、「対戦した人のボールかもしれない」と思った。神達地区は約1カ月前、車で通ったばかりだ。彼女と山に登り、木々に囲まれて家々が立ち並んだ集落の先に広がる海をながめ、2人で「きれいだね」と話した。

 18日夕、倒れかかったビニールハウスのそばで土砂に埋まった、高齢女性が発見された。10メートルほど離れた場所にいた森田さんらもすぐに合流。消防のレスキュー隊が慎重に掘り出す間、回りを板で囲んだり、女性の足にかぶさっている倒木をロープで引っ張り出したりしたが、女性は助からなかった。

 「今回の災害で初めて遺体を見てショックだった。でも、自分らが動かなければ助けられない。『ショックだ』なんて言ってられない」。19日以降も、森田さんたちは捜索を続ける。(SANKEI EXPRESS

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