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【にほんのものづくり物語】津軽こぎん刺し

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【にほんのものづくり物語】津軽こぎん刺し

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布地の奇数目を拾って針を刺していく(提供写真)  ≪伝統に培われた技を新しい発想に生かすと「ものづくり」の可能性が広がる≫

 紺地に白糸の縫い取りの施された美しいコントラストのタペストリー。幾何学模様のまるで織物のようにも思える重厚感が圧倒する「こぎん刺し」という手法に津軽で出合いました。世界中にある多くの刺繍(ししゅう)工芸や、日本各地の刺し子とは一線を画した、風土と人々の生活の知恵が詰まった歴史があるといいます。

 今回はその魅力を探るために青森県弘前市の「弘前こぎん研究所」成田貞治所長を訪ねました。

 津軽といえば、冬の寒さと日本海の荒波を思い浮かべる方も多いでしょう。江戸時代、青森には太平洋側に南部藩、日本海側に津軽藩がありました。桜で有名な弘前城主が治める一帯は、岩木山の麓の稲作地帯。綿花が育たない寒冷地の農民の衣服は、目の粗い麻布、倹約令で色糸を使うことも禁じられるという質素なものでした。寒さをしのぐために、布の織り目を糸で刺し埋め補強する知恵から生まれた、こぎん刺し。最初は布目を一列に拾う「地刺し」から始まり、次第に美しい幾何学模様、津軽の自然、動植物を表す柄が編み出されていったようです。

 こぎん刺しの模様には単位模様と、それをつないで作る連続模様があります。単位模様には「花こ」「豆こ」や「猫のまなぐ(猫の目)」という身近なものを図案化したものが多く、模様の間に、つなぎ図案を入れ複雑なデザインを表現することもできます。北国の長い冬、農村の女性たちは、手仕事をすることで温かくなる春を待っていたのでしょう。限られた素材、色の中で、創造力を駆使し、さまざまな模様を生み出し、自分らしい世界観を表現してきたのです。そして、白い糸が汚れてくると藍に染め直し、糸を刺し重ねたりと、ものを大切に使い続ける工夫も加わっていったようです。

 しかし、明治の声とともに、この素晴らしい伝統は廃れていき、昭和初期の民芸復興まで忘れ去られていました。伝承の技を絶えさせてはならないと、農家に残された着物などを探し集め、正しい「こぎん刺し」を広める作業を始めたのが「弘前こぎん研究所」です。現所長の成田さんは「もともと口述でつがれた技術。もしこの時に収集、整理されることがなければ、今頃は博物館でしか目にすることができなかったかもしれない」と話す。現存する古い作品や、図案の意味を紐解(ひもと)いていくと、厳しさの中で強くたくましく生きてきた東北人の遊び心のセンスが、垣間見られるように思えます。

 1996年「こぎん刺し」は青森県の伝統工芸品に指定されました。4、5年ほど前から日本の伝統工芸が「JAPAN BRAND」として注目され始めると同時に「こぎん刺し」もブームに。弘前市商工振興部の、地域を挙げたバックアップも大きな力となっています。「こぎん刺し」を広める精力的な活動は、今や国内だけにとどまりません。海外の著名なデザイナーから「これは織物ではないのか!」という称賛の声も。大量生産はできないけれど、ひと針ひと針に、津軽の豊かな自然への思いが込められた作品。緻密で美しい手作業は、国境を超えて人々の心を魅了します。

 より多くの人に「こぎん刺し」を身近に感じてもらいたいと、布10色と糸20色を厳選した巾着やポーチの受注制作も始めました。そこから、「香り」のブランドとのコラボレーションも実現し、こぎんの花が咲いたような図柄の、ルームフレグランスや香袋が生まれました。

 長い時を経て育まれた伝統の灯は、熱意のある人々の努力によって、消えることなく現在によみがえり、未来につながる道を開きました。これからも暮らしに生きる伝統の「にほんのものづくり」を見守り、育んでいきたいと思います。(SANKEI EXPRESS

 ■成田貞治(なりた・さだはる) 有限会社弘前こぎん研究所代表取締役。1949年、青森県弘前市生まれ。79年、有限会社弘前こぎん研究所に入社。82年、3代目所長に就任。現在、津軽の伝統工芸品として「こぎん刺し」の正しい技術の継承、講演・ワークショップなどの普及活動、生産、販売を行っている。

問い合わせ先:

■有限会社弘前こぎん研究所

〒036-8216青森県弘前市在府町61番地 (電)0172・32・0595 (FAX)0172・32・0850

■株式会社グランデュール

(電)045・847・1683 http://www.grandeur-gd.co.jp/

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