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【ジャンプ】竹内 難病に耐え「夢」つかんだ
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ジャンプ男子団体で銅メダルを決め、涙をぬぐう葛西紀明(右)。左は難病を抱えて出場した竹内択(たく)=2014年2月17日、ロシア・ソチ(古厩正樹撮影) 日本が銅メダルを獲得したノルディックスキー・ジャンプ男子団体に、2番手として臨んだ竹内択(たく、26)は2月17日、試合後の記者会見で、難病の「チャーグ・ストラウス症候群」の疑いが高いと告白した。1月に約2週間、入院を余儀なくされたが、必死に体力を戻し、ソチで飛んだ。「同じ病気で苦しんでいる人に諦めないで頑張れば、念じていればメダルが取れるということを伝えたかった」と、涙ながらにメッセージを送った。
「もしかして死んでしまうんじゃないか…」。1月上旬、竹内は医師からチャーグ・ストラウス症候群に罹患(りかん)している可能性が8割だと言い渡された。
体調の異変に気づいたのは年末年始のジャンプ週間だ。風邪をこじらせ、風呂で手を挙げるだけでも疲労感を覚えるようになり、39度の熱が出た。帰国後、すぐ診察を受けると入院が決まった。チャーグ・ストラウス症候群は120万人に1人がかかるといわれる血管の病気で、激しいせきや、関節や筋肉の痛みなどの症状が出る。
入院中、それでも子供のころからの夢である「五輪のメダル」は諦められなかった。ベッドで腹筋と背筋を繰り返し、エアロバイクを買って病室に持ち込み汗を流した。
背中を押したのは家族だった。父の亨さん(51)は病室に1枚の写真を貼った。ワールドカップ(W杯)で2位に入り喜んでいる竹内の写真を拡大印刷し、その胸元に「金」と書いた丸い金色の紙を貼り付けたものだ。「普通ならやめた方がいいと言うところ、父は『お前ならできる』と言ってくれた」と奮い立った。
言い訳に聞こえるのを嫌い、メダルが取れなかったら病名を公表しないつもりだったという。だが、2回のジャンプをしっかり決め、3位入賞に大きく貢献した。
現在は治療薬で症状を抑え、その影響で筋力は落ちている。また、薬の量を減らしていく段階で再び発症する恐れもあるという。それでも、竹内はこの病と付き合いながら競技を続けていく意向だ。「同じ病気の人に元気を与えられたらいい」。発疹の残る顔で次回2018年平昌五輪での金メダル獲得を誓った。(宝田将志/SANKEI EXPRESS (動画))
≪20歳の清水 「すごくいい経験になった」≫
1番手として2本とも完璧なジャンプを決めた最年少の清水礼留飛(れるひ、20)は「先輩たちの頑張りのおかげで取れた。ものすごくいい経験になった五輪でした」。最後に飛んだエースの葛西紀明(41)に抱き付き、初出場で「銅」の快挙を喜んだ。
「礼」儀正しく、悪いことがあっても踏み「留」まり、大空に「飛」んでほしい-。
父、久之さん(53)は高校時代から国体に連続出場している現役のスキー複合選手。約1世紀前に日本で初めて本格的なスキー指導を新潟県でしたオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐と同じ名前を息子に付けた。
長野県妙高市の自宅は目の前がゲレンデだ。礼留飛少年はよちよち歩きのころからスキーで遊び、小学1年でジャンプを始めた。「ジャンプをすれば、いつでもお父さんと一緒にいられるよ」。ジュニアスキーの指導員として多忙だった久之さんの言葉がきっかけだった。
中学1年でテストジャンパーを務めた大会で、大人の出場選手より大きなアーチを描き、周囲を驚かせた。バランス感覚に優れ、踏み切りの力をスムーズに飛距離につなげられる。「教えてできるものじゃない。彼は鳥になることができる」。久之さんは天賦の才をそう表現する。
複合選手としてクロスカントリーとの両立を続けていたが、「ジャンプの方が勝負できる」と、高校卒業を前に転向を決意した。
「おまえは日本の複合を背負う立場だぞ」
「俺の人生だから、俺に決めさせてくれ」
父を説き伏せ、自らの道を歩みだした。目標に掲げたのは、2018年平昌五輪での金メダル。だが挑戦の機会は4年早く巡ってきた。
メンバー4人中、唯一の平成生まれ。ラージヒル個人では、自分が生まれる前から五輪に出場していた葛西の銀メダルを「(その瞬間に)立ち会えて幸せ」と話した。その大先輩と力を合わせ、銅メダルをつかみ取った。(共同/SANKEI EXPRESS (動画))