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科学
【タイガ-生命の森へ-】まろやかなビキン川の一滴
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強い日差しをうけて溶け始めたビキン川=2013年3月13日、ロシア・クラスヌィ・ヤール村(伊藤健次さん撮影) 3月のウスリータイガには冬と春が混在している。風はまだ冬の厳しさが残るが、日差しの明るさに春の気配が漂う。クラスヌィ・ヤール村でのホームステイ先では、暖かい居間の窓辺にジャガイモが並べられ、小さな芽が出始めていた。そのほんのりとした緑色がうれしい。
村人の主食はパンとジャガイモでそこにタイガで捕れたイノシシやシカの肉と川魚、キノコなどが添えられる。肉と魚は玄関脇で冷凍に。ベリー類のジャムやキノコのピクルスは瓶詰にして保存食にしている。
ジャガイモは冬の間、床下の「ムロ」のような場所に入れて凍らせないように保管しておき、春が近づくとその何割かを種芋にする。ウデヘは漁猟(ぎょりょう)が得意な優れた狩猟民族だが、大抵の家には菜園があり、特にジャガイモはよく作られている。中にはタイガで採ってきたギョウジャニンニクを畑に植えたり、チョウセンニンジンを庭の隅に植えている人もいる。
村外れのビキン川に出てみると、川面(かわも)の所々にエクボのようなくぼみがあった。近づけば黒々とした水が流れている。この水はビキン川から大河アムール川に注がれ、やがてオホーツク海へと流れ出る。今の時期、北海道に接岸している大量の流氷の中にも、この源流の滴が含まれているのかもしれない。
手にすくって飲む。ひときわまろやかな味がした。
≪夕日の残照が語る 大河の目覚め≫
川辺を散歩しているうちに村からエンジンの音が響いてきた。知り合いのヤーシャがブランと呼ばれるロシア製のスノーモービルで川に下りてきたのだ。対岸の林まで薪を集めにいくという。猟師の父を冬のスノーモービルの事故で亡くし、今では母のアンナを支える家族の大黒柱だ。
村では狩猟組合が燃料用の材木を調達して各家庭に払い下げる仕組みになっている。だが、それからのまき割りはひと苦労だし、不足の際は自力で薪を集めるのが男の仕事だ。ここでは室内のペチカやバーニャと呼ばれるロシア式サウナの燃料となる薪が欠かせない。
「日本製のエンジンプラグを探しているんだが、帰ったら同じものがあるか見てきてくれないか」とヤーシャはいって、道具箱から古いプラグを取り出した。
川で使う船外機や悪路をこなす車。厳しい環境で酷使される道具に関して、今も日本製品の信頼は高い。村には日本で流行の通信販売はないから、こんな人づての調達が結構大事なのだ。息の長い宅配便である。次の旅までに探し出してお土産にしよう。僕は小さなプラグの重みを感じながらポケットに入れた。
ビキン川は村の下流でウスリー川に合流し、さらにアムール川に合流する。アムール川の河口からはオホーツク海を東樺太海流が南下して北海道へと向かっている。そんな水の繋(つな)がりもさることながら、かつてアムール川流域の人々は川を“道”として移動し、さらにサハリン島を経由して北海道を結ぶダイナミックな交易を行っていた。「蝦夷錦」と呼ばれた高価な絹製品もそうして“人づて”にはるばる大陸から北海道に渡り、さらに江戸の幕府へともたらされたのだ。いわば北のシルクロード-。
車や飛行機、蒸気機関がなかった時代、移動は人力の舟と犬ぞり、そして徒歩が中心だった。だからサハリンの先住民は犬を、北海道のアイヌの人々は舟を非常に大事にした。人と富と文化を運ぶ貴重な手段だったからだろう。
極東の都市・ハバロフスク付近を流れるアムール川を上空から眺めた。川幅は上流のビキン川よりはるかに広く、中洲や三日湖、河畔の湿地が縦横無尽に大地に文様を描いている。水源の一つであるビキン川を赤ちゃんに例えるなら、たくましい成人のような川姿だ。川はまだ凍っていたが、夕日の残照が、冬の眠りからゆっくりと目覚めてゆく川の胎動を語っていた。
圧倒的な風景に打たれながら、僕はこの地に暮らし、そして旅した人々のエネルギーを想像した。果たしてどんな想いを抱きながら、人は川に寄り添い生きてきたのだろう。
時は流れ、物も変化してゆく。しかしタイガから湧き出し、流れ続ける川をたどって、この地で今を生きる人々の暮らしを感じてみたいと思った。(写真・文:写真家 伊藤健次/SANKEI EXPRESS)