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社会
【東日本大震災3年】被災地再訪(2) 若きスイマー それぞれの道へ
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泳いでいた宮城県気仙沼市のスイミングスクールが東日本大震災で廃業になり、神奈川県横浜市内の大学に進学して水泳を続ける藤田真平さん=2014年2月20日、神奈川県横浜市(早坂洋祐撮影) ≪神奈川県横浜市神奈川区 藤田真平さん(20) 宮城県気仙沼市 村上あずささん(18) 脇坂健矢さん(15) 藤田倫平さん(18)≫
「泳ぎたい!!」
津波で宮城県気仙沼市唯一の室内プールを壊されたスイミングスクールに通う小中学生や高校生の6人は3年前、がれきを踏みしめながらメッセージでこう訴えた。
当時高校3年で「泳」を持っていた藤田真平さん(20)は今、身長179センチ、体重81キロの恵まれた体格。スクールは廃業になったが、神奈川大学(横浜市神奈川区)の水泳部で活躍しており、2月の日本短水路選手権では100メートル平泳ぎで14位に入った。
もともと東北地区高校新人戦で優勝するなど将来を有望視されていた。メッセージが掲載された産経新聞で窮状を知った神奈川大学から水泳部の練習生になることを打診され、震災2カ月後に実家を離れて横浜市の高校に転校。卒業後に神奈川大学に進学し正式に水泳部に入った。
現在2年生ながら副将としてチームを支える。「2年後のリオデジャネイロ五輪の選考会を目指したい」。さらに遠い将来の希望は「地元に戻って起業し、故郷のためにできることを考える」ことだという。
メッセージを寄せた6人のうち、高校3年の村上あずささん(18)と中学3年の脇坂健矢さん(15)は、地元の宮城県気仙沼市に住みながら水泳を続ける。両家は協力して子供たちを約50キロ離れた岩手県一関市のプールまで送迎。藤田真平さんの弟、倫平さん(18)は気仙沼高校に進学しフェンシング部に入部。昨年(2013年)は県大会で優勝しインターハイにも出場したという。
同じ室内プールで競い合った若いスイマーたちはそれぞれのコースを歩み始めた。
≪神奈川県横浜市神奈川区 藤田真平さん(20)≫
泳いでいた宮城県気仙沼市のスイミングスクールが東日本大震災で廃業になり、神奈川県横浜市内の大学に進学して水泳を続ける藤田真平さん。(2014(平成26)年2月20日)
≪神奈川県横浜市神奈川区 藤田真平さん 宮城県気仙沼市 村上あずささん 脇坂健矢さん 藤田倫平さん≫
「今すぐにでも泳ぎたい」と切実な思いをメッセージに込めた宮城県気仙沼市のスイミングスクールに通う中高校生スイマー。津波によって気仙沼市で唯一の屋内プールは天井が落ちるなど大きな被害を受けた。(2011(平成23)年年3月30日)
≪福島県福島市 佐藤優菜さん(12) 榛香さん(8) 綾花さん(10)≫
福島県相馬郡飯舘村から福島県福島市に避難している佐藤優菜さん(12)、綾花さん(10)、榛香さん(8)の3姉妹。3年前、原発事故の計画的避難区域に指定された飯舘村では、自宅の外で遊べず、もっぱら部屋で絵を描いていた。
その後、両親と5人で福島市へ移り住み、今も避難生活が続く。村にいた時とは違い集合住宅なので騒音にも神経を使う。だから外で遊ぶと心が弾むという。
綾花さんは「やっぱり帰りたい」と話す。3人の母、明美さん(37)は「将来は帰りたい気持ちもあるが、子供の被曝(ひばく)が心配で帰れないかも…」と淋しそうに話した。
≪福島県福島市 佐藤優菜さん 榛香さん 綾花さん≫
原発事故で福島県相馬郡飯舘村から福島県福島市に避難している佐藤優菜さん、榛香さん、綾花さんの3姉妹。外で遊ぶと心が弾むという。(2014(平成26)年2月22日)
福島第1原発から約38キロ、避難先から計画的避難区域に指定された福島県相馬郡飯舘村に戻った佐藤優菜さんと綾花さん姉妹。(2011(平成23)年4月12日)
≪岩手県陸前高田市 村上愛季さん≫
岩手県陸前高田市で200年続く老舗醸造会社「八木澤商店」に入社した村上愛季さん。八木澤商店は震災で蔵や工場、事務所などすべてを失ったが、「雇用をやめれば地元から人がいなくなる」と内定を取り消さず新入社員を受け入れた。「無我夢中の3年間でした。大変な時に入社したが、周りの人に恵まれ、この会社で本当によかった」と村上さん。(2014(平成26)年2月19日)
八木澤商店の入社式に臨んだ村上愛季さん。岩手県陸前高田、岩手県大船渡両市内の企業3社が合同で入社式を行い、新たな社会の門出を祝福された。(2011(平成23)年4月6日、岩手県陸前高田市)
≪宮城県本吉郡南三陸町 佐藤輝稀君(9) 夢斗君(6) 聖也君(5)≫
津波被害からわずか1週間後の宮城県本吉郡南三陸町。変わり果てた町を見渡そうとのぼった高台で、小さな先客に出会った。
佐藤輝稀(てるき)君(9)と夢斗(ゆめと)君(6)の兄弟。その高台にある自宅は無事だったが、家のすぐ手前まで流されてきた車の残骸や壊れたカメラなどが遊び道具になっていた。母親の幸子さん(42)は末っ子の聖也君(5)をおんぶして少し離れて見守っていた。
3年がたち、一層たくましくなった3兄弟。屈託のない表情とは裏腹に、時には「津波は怖い。津波の話はしたくない」と漏らすこともあるという。「元気で健康なのが取りえ。とにかく、この笑顔のまま大きく育ってほしい」と幸子さんは願う。
≪宮城県本吉郡南三陸町 佐藤輝稀君夢斗君 聖也君≫
長男、輝稀(てるき)君は雪もうっすら残る寒さの中、半袖姿で外に飛び出した。夢斗(ゆめと)君は「将来は大工になって、お母さんに家を建てたい」と大きな声で宣言。末っ子の聖也君は2人の兄のあとを追いかける。(2014(平成26)年2月23日)
震災直後に町が見渡せる高台で出会った佐藤輝稀(てるき)君と夢斗(ゆめと)君。(2011(平成23)年3月19日)
≪岩手県一関市 小野寺松一さん(61)≫
震災から3年。現在は岩手県一関市で生活する小野寺松一さんは、昼は森林組合の製材所で働き、夜は高校の非常勤講師を務める。今年中に気仙沼に家を建てて帰ってくる予定という。(2014(平成26)年2月24日)
小野寺松一さんは、崩壊した自宅前で「書物が消えた」と切実な叫びを上げた。(2011(平成23)年3月20日)(EX編集部/撮影:早坂洋祐、松本健吾、大山文兄、矢島康弘、植村光貴/SANKEI EXPRESS)