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「ジョージ王」 300年の時を経て脚光 イギリス
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ジョージ1世の肖像画=2014年4月7日、英国・首都ロンドン(内藤泰朗撮影)
英国では今年、300年前に始まった「ジョージ王の時代」にスポットライトを当てた美術館の展示やイベント、テレビ番組などがめじろ押しだ。将来、英国王となる生後8カ月のジョージ王子も、この4月にニュージーランドとオーストラリアを初外遊し、「ジョージ・ブーム」を巻き起こした。元祖「ジョージ王」とは、どんな指導者だったのか、探ってみた。
ロンドン中心部にあるエリザベス女王(88)の公邸、バッキンガム宮殿に隣接したクイーンズ・ギャラリー(女王の美術館)で4月、「初期のジョージ王たち:1714-1760年の芸術と君主制」という展示が始まったので、出かけた。
レッド・ルームの深紅の壁には、くり毛の馬にまたがった英国王・ジョージ1世(1660~1727年)のひときわ大きな絵画が飾られていた。その反対側の壁には、皇太子時代のジョージ2世(1683~1760年)の絵画が掛けられていた。
会場にはこのほか、王族の肖像画や肖像を描いたブローチといった華やかな装飾品のほか、巨大なオルガン時計、日本から輸入したとみられる漆塗りの飾り棚、色とりどりの食器が展示されていた。
そんな文化的暮らしをしていたジョージ1世は、ドイツ・ハノーバーの選帝侯だった。英国では当時、カトリック教徒を敵視し、王位に就くことを禁じる法律(王位継承法)が制定されたため、アン女王(1665~1714年)の死去に伴って女王の遠い親類に当たるプロテスタント教徒のハノーバー選帝侯が選ばれたのだ。
英国王になっても、英語が話せず、ドイツなど大陸にいることが多かったため、英国内の政治は内閣に任せきり。「国王は君臨すれど統治せず」という英国の立憲君主制はくしくも、外国人の君主が定着させたことになるという。
ただ、ジョージ1世は、言葉の問題に加え、守備隊長と浮気したゾフィー王妃(1666~1726年)と離婚、32年間も王妃を城に幽閉したことなどから英国民には人気のない国王だった。それが、ジョージ王の展示がバッキンガム宮殿で初めて開催されるほどに変わったのはなぜなのか。そこには、やはりドイツの影がちらついている。
ちょうど100年前の8月4日、英国はドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦した。その最中、時の英国王ジョージ5世(1865~1936年)は、国民の反独感情を考慮して敵国ドイツ系の爵位や称号を廃し、英国風のウィンザー家を創立することで国民の愛国心を高め、英国は戦勝国となった。
さらに、エリザベス女王の父親であるジョージ6世(1895~1952年)も、第二次大戦でナチス・ドイツと戦った。
美術館の学芸員は「第二次大戦の終結から約70年が経過し、ドイツと緊張した時代は過ぎ去った。ドイツの流れをくむ王家であることを覆い隠す必要ももはやなくなった。王室の祖先たちが何者で、何をやってきたのか、に関心が集まっているのではないか」と分析する。
別の学芸員は「英国は初期のジョージ王たちの時代、世界で最もリベラルで、商業的にも成功し、きらめくような国際的な社会となった。これは素晴らしい遺産だ」と胸を張った。
英BBCテレビも、「最初のジョージ王の時代」というタイトルの特別番組を制作、5月1日に放映を始めた。番組のサブタイトルは「英国をつくったドイツの王たち」だ。番組を監修したルーシー・ウォーズリー博士は「英国はまさにこの時代、政治や文化などさまざまな面で変革を遂げ、どのような国になりたいのか、考えるきっかけを与えた。それは、私たちが生きる現代の英国創造の基礎になった」と語る。
博士によると、バッキンガム宮殿やウィンザー城、大英博物館、ナショナル・ギャラリーなど、英国が誇る数々の遺産はこの時代、そのタネがまかれた。人気のなかったドイツの王が英国に変革をもたらした事実は、現代にも通ずる多くの教訓を暗示しているかのようだ。
外交デビューを果たし、話題の人となっているジョージ王子の治世はまだ先のことだが、ジョージ7世は、どんな英国を築くのだろうか。(ロンドン 内藤泰朗/SANKEI EXPRESS)
<ハノーバー朝>
ジョージ1世 (1714~27年)
ジョージ2世 (1727~60年)
ジョージ3世 (1760~1820年)
ジョージ4世 (1820~30年)
ウィリアム4世 (1830~37年)
ビクトリア女王 (1837~1901年)
<サクス=コバーグ=ゴータ朝>
エドワード7世 (1901~10年)
<ウィンザー朝>
ジョージ5世 (1910~36年)
エドワード8世 (1936年)
ジョージ6世 (1936~52年)
エリザベス2世女王(1952~)
※年は在位期間