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「卑弥呼の墓」鮮明に 最古の古墳写真 宮内庁が保存 古代史上最大の謎解く資料
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卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ~後半)を1876年に撮影した写真。墳丘本来の姿が鮮明にとらえられ、日本で最古の古墳写真とされる(宮内庁所蔵) 卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ~後半)など、県内の天皇陵や皇族墓計44カ所を1876(明治9)年に撮影した写真と原板が宮内庁に保存されていることが5月18日、分かった。宮内庁書陵部によると、日本で最古の古墳写真という。
箸墓古墳は明治20年代に植樹されて以降、樹木が密集しているが、撮影当時は木が少なく、墳丘本来の姿を鮮明にとらえた唯一の写真。倭国の女王卑弥呼の墓ともいわれ、古代史上最大の謎を秘めた大王墓の構造を知る第一級の資料になりそうだ。
写真は計59枚あり、「大和御陵写真帖」と題するアルバムにまとめられていたが退色が進んだため、書陵部が2011年度に原板のガラス湿板をデジタル化、画像を復元した。早ければ来年にも宮内公文書館で一般に公開する。
書陵部によると、明治政府が奈良県に依頼し官民合同の奈良博覧会社が撮影した。目的は不明。これまで一般的に知られていた最古の写真は1879(明治12)年に旧大蔵省が撮った大山古墳(仁徳天皇陵、堺市)だった。
最古の大型前方後円墳とされる箸墓古墳は、特異な4段構造の墳丘や後円部頂上に築かれた巨大な円壇(直径45メートル、高さ5メートル)が写っていた。円壇は埋葬施設を覆う特別な施設とされる。4段の墳丘と合わせ、5段に見えるこうした構造は他に例がない。前方部は後の開墾で形状が変わり、論争が続いていたが、後円部と同じ4段だったことが分かる。
写真には、畑の向こうに、仲良く並んだ2つの山が鮮明に写っており、どちらも斜面が階段状で、まるでピラミッドのよう。箸墓古墳について、「昼は人が造り、夜は神が造る」。日本書紀はこう伝えている。
寺沢薫桜井市纒向(まきむく)学研究センター所長は「それまでの前方後円墳は3段構造で全長80~90メートルだったのに、箸墓古墳は全長約280メートルといきなり3倍。大きいものを造ろうとして技術が追いつかず、盛り土の崩落を防ぐため異例の4段になったのでは」と推測している。
このほか、奈良県最大の前方後円墳である丸山古墳(当時は天武・持統天皇陵、現陵墓参考地、橿原市)の写真も、樹木がまばらで、後円部の平らな頂上が写っていた。現在は道路や住宅で切断されている前方部の巨大さもよく分かる。
丸山古墳は、明治政府が招聘(しょうへい)した英国人技師ウィリアム・ゴーランドが1897(明治30)年に発表した写真が知られているが、木が茂って後円部を隠しており、宮内庁の写真の方が古いとみられる。(SANKEI EXPRESS)