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社会
【取材最前線】袴田事件、48年の重さ
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1966(昭和9)年、静岡県清水市(現静岡市)でみそ製造会社の専務一家方から出火し、焼け跡から4人の刺殺遺体が発見された「袴田事件」で、静岡地裁は3月27日、強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサーの袴田巌(はかまだ・いわお)さん(78)に対し、再審開始と死刑執行、拘置の停止を認める決定を出した。
その日、本社と忙しくやりとりをしていると、テレビから「釈放されました!」と緊張した声が聞こえた。画面を見ると、48年ぶりに自由の身となった袴田さんが、東京拘置所から出てくる光景が映し出されていた。
地裁は決定文で、「捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した疑いがある」と異例ともいえる踏み込んだ判断を示した。袴田さんは地裁決定と半世紀ぶりの外界の景色を、どんな気持ちで受け止めたのか。画面から袴田さんの気持ちを読み取ることはできなかった。
その数日後、事件の現場を訪ねてみた。JR東海道線沿いにある古くからの住宅街。現場には、確定判決で袴田さんの侵入経路とされた裏木戸が今も残されている。
付近に住む70代の主婦は、「裕福でやさしい一家だった。よく電話を貸してもらったよ。工場が燃え上がり、炎が高く高く夜空にのびていったのを今でも覚えている」と話した。
生い茂った庭木に囲まれて、2階建ての家屋が建っている。事件後に建てられたこの家で、家族で唯一生き残った長女がひっそりと暮らしていた。近所づきあいはほとんどなかったという。「何か怒ったようにつぶやきながら歩いている姿を何度か見かけた。事件がらみのことを言っていたようにも聞こえた」と前述の主婦は言う。
長女は、袴田さん釈放の翌日、家の中で亡くなっているところを家族に発見された。死因について、清水署は「一切ノーコメント」という立場だ。
別の70代女性は「今ごろ『裁判は間違いだった』といわれても。事件の証人も、もうほとんどいない。こういうことは、早くやってもらわないと」と困惑気味に話していた。
「幸せそうな一家」は消え去り、袴田さんと長女の失われた48年間も元には戻らない。現場では、事件がいまだに生々しい重苦しさを放っていた。(静岡支局次長 岡本耕治/SANKEI EXPRESS)