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巨大官僚機構に敗れたシンセキ氏
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歴戦の強者も巨大官僚機構には歯が立たなかった。退役軍人省のエリック・シンセキ長官(71)が、退役軍人向けの病院で初診を受けるまで長期間待たされて約40人が死亡した問題の責任を取って辞任した。米国のメディアは不祥事を大きく取り上げ、与党民主党を巻き込んで「シンセキ辞任論」が強まっていた。日本ではあまり知られていない役所で起きた不祥事はバラク・オバマ米大統領(52)の足元を揺るがしている。同時に米国の世界戦略にも関わる事案として注目したい。
シンセキ氏は、クリントン政権の商務長官、ブッシュ政権の運輸長官を歴任したノーマン・ミネタ氏(82)に次ぐ歴代で2人目の日系人閣僚だった。広島からハワイに移民した祖父(姓は新関(しんせき))を持つ3世で、ニューヨーク州ウエストポイントの陸軍士官学校に進んだ。
ベトナム戦争には2度加わり、地雷の爆発によって右足の半分を失う大けがをしている。昇進を続け、1999年にアジア系で初めて陸軍制服組トップである陸軍参謀総長に就任した。その発言が最も注目されたのは2003年、イラクへの介入をめぐり戦後統治の観点から数十万人の大規模派兵が必要だと議会で証言したときのことだ。
世界規模の米軍再編(トランスフォーメーション)を進めていた当時のドナルド・ラムズフェルド国防長官(81)は、ハイテク化された少数兵力による効率的な作戦を志向していた。文民統制を受ける立場にも関わらず異を唱えたシンセキ氏は、ラムズフェルド氏によって解任される。
イラク戦争が思うように進まなかったことで、退役後は軍の中枢部からもシンセキ氏の主張が正しかったとする声が上がった。上院議員時代からこの戦争に反対してきたオバマ氏は、このいきさつに注目した。
「シンセキ氏は権力に対して真実を述べることを、決して恐れてこなかった」
オバマ氏は5月30日、シンセキ氏の更迭後、ホワイトハウスで開いた緊急の記者会見でこう語った。「権力」がラムズフェルド氏を含めたブッシュ政権を指すことは疑いがない。
オバマ氏は、ブッシュ政権の末期に2007年に発覚したウォルター・リード陸軍病院での不祥事を08年大統領選で利用した。イラク、アフガニスタンの帰還兵が劣悪な環境で治療を受けていた問題の解決を約束することで退役軍人の支持を得たのだ。
ベトナムで戦い、陸軍参謀総長としてイラク、アフガン戦争に関わった2つの世代にとっての「英雄」であるシンセキ氏は、退役軍人への医療サービスや生活支援に関わる退役軍人省のトップに適任だった。だが、退役軍人病院での不祥事は皮肉にも、この「2つの世代」によってもたらされた。
1975年に終結したベトナム戦争世代は約2000万人の退役軍人のうち3分の1に当たる730万人を占める最大勢力だ。彼らはちょうど初老にさしかかり、医療がより必要になる。そこにイラクやアフガンで障害を負った帰還兵が加わり、退役軍人省が運営する医療関連サービスの利用者はここ5年間で約200万人も増えた。
状況を改善するため、退役軍人省は診察待ち時間を減らした施設の幹部に特別ボーナスを支給するようにしたが、これがあだとなった。本省に偽の待機者名簿を提出し、実際は数カ月も患者を待たせるような事案が発生してしまったのだ。
「戦場では20歳がらみの伍長の電話だけを頼りに攻撃を命じなければならない。それが良い情報だと信じるしかない」
シンセキ氏はオバマ氏にこう述べ、軍の文化では退役軍人病院で起きたような隠蔽(いんぺい)工作はありえないと強調した。
退役軍人省は30万人以上の職員を擁し、連邦政府の中では国防総省に次ぐ第2の大官庁である。予算規模は2009会計年度で約1000億ドル(10兆円)だったのが14会計年度では約1510億ドルに膨れあがり、今後も増大する見通しだという。
オバマ氏はこのほどアフガンからの全面撤退に向けた工程表を発表し、シリア内戦など世界の紛争への新たな介入にも慎重姿勢を示している。戦費負担だけでなく、退役軍人省の問題に象徴される「戦後」負担の重さもその理由の一つなのだろう。退役軍人省が取り組むシステム改革の成功は、米国が世界でこれからも軍事的な役割を果たせるかどうかの判断にも影響を与える。(ワシントン支局 加納宏幸(かのう・ひろゆき)/SANKEI EXPRESS)