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桂宮殿下 薨去 天皇陛下のいとこ、66歳

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桂宮殿下 薨去 天皇陛下のいとこ、66歳

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日・豪・ニュージーランド協会の新年懇親会で歓談される桂宮殿下=2008年1月24日、東京都港区のオーストラリア大使館(小野淳一撮影)  三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下の第2男子で、天皇陛下のいとこに当たる桂宮宜仁(かつらのみやよしひと)親王殿下が6月8日午前10時55分、急性心不全のため東京都文京区の東京大学医学部付属病院で薨去(こうきょ)された。66歳のご生涯で、皇位継承順位は第6位だった。

 桂宮さまは1988(昭和63)年5月に倒れて以来、右半身が不自由となったが、リハビリに励み車いすで公務にご復帰。しかし、近年は敗血症で体調を崩すなど入退院を繰り返されていた。

 皇族が薨去されたのは、桂宮さまの兄に当たる寛仁(ともひと)親王殿下(2012年6月)以来。桂宮さまは独身のため、桂宮家は断絶する。皇室の方々は21方、皇位継承資格者は5方となった。

 宮内庁によると、8日朝、桂宮さまの呼吸が弱くなっているのに職員が気付き、午前9時すぎ、東大病院に救急搬送された。搬送時は既に心肺停止状態で、心臓マッサージなどの蘇生措置を施したが、一回も拍動は戻らなかった。ご両親の三笠宮ご夫妻も病院に駆けつけられた。

 ご遺体は午後1時ごろ、お住まいの東京都千代田区三番町の桂宮邸に到着された。天皇、皇后両陛下は8日夕、弔問のため宮邸をご訪問。側近によると、両陛下は、桂宮さまが入退院を繰り返されたお辛さを思いつつ、三笠宮ご夫妻のお力落としを案じられているという。桂宮さまの弟に当たる高円宮憲仁(のりひと)親王殿下も02年11月に薨去されており、三笠宮さまのご子息はお3方全員が薨去された。

 ≪車いすで懸命に励まされたご公務≫

 天皇陛下のいとこに当たる桂宮宜仁親王殿下が6月8日、66歳で薨去された。7日までは血圧、脈拍などに異常はなかったが、8日朝に容体が急変された。お若いころはバンド活動に励むなど“行動派”の一面をお持ちだった桂宮さま。1988年には急性硬膜下血腫で倒れたが、リハビリをへて約3年半後に復帰、車いすで公務に臨まれた。ここ数年は体調を崩して表舞台に出られる機会は多くなかったが、元側近らは「明るくざっくばらんな方」とそのお人柄をしのんだ。

 桂宮さまは学習院中・高等科時代にはビートルズに熱中、バンドを結成し、自らリードボーカルを担当されたこともある。オーストラリア留学から帰国した翌年の74年10月から85年5月まで、NHKに嘱託として勤務し、サラリーマン生活を経験された。

 NHKでは、セレモニーやイベントでの切符もぎり、大道具、小道具の運び役など裏方もご体験。「サラリーマン社会は人間関係も複雑。サラリーマンの苦労もよく分かりました」と、88年1月に三笠宮家から独立して桂宮家を創設した際に振り返られた。

 宮家ご創設から約半年後、急性硬膜下血腫で倒れ、車いすでのご生活に。しかし、手術やリハビリに耐え、約3年半後に公務に復帰された。

 皇族が車いすで外出すれば、施設のバリアフリー化などが注目され「ほかの障害者の役に立てる」と周囲に語られた。身体や言葉に障害が残ったが、ご自身が総裁を務める団体の行事には折に触れて出席された。

 94年から2008年に敗血症で入院するまで、毎年、秋田県で開かれる「桂宮杯全日本学生水上スキー選手権大会」を名誉総裁として欠かさずに観戦されていた。

 社団法人「日本工芸会」の総裁を務めていた桂宮さまは、敗血症で長期入院するわずか5日前の08年9月23日にも、都内で開かれた「第55回日本伝統工芸展授賞式」に出席されていた。

 側近を務めた元職員は「あまりにざっくばらんなので、宮邸で話をしていると敬語を使うのを忘れてしまうこともあった」と語る。別の元側近は「お客さまを迎える際にじゅうたんの掃除がきちんとしていないと『失礼だ』と怒られた。厳しい面もあった」と明かす。

 生涯独身を通された桂宮さま。ご自身の障害と闘いながら、できる限りの公務に励まれたご生涯だった。

 ≪両陛下、5日間喪に服される≫

 宮内庁は6月8日、天皇、皇后両陛下が、桂宮さまの薨去を受け8日から5日間、喪に服されると発表した。皇后さまは8日午後に都内で予定していたバイオリニストの前橋汀子さんの「アフタヌーン・コンサート」鑑賞を取りやめられた。

 皇太子ご一家、秋篠宮ご一家、常陸宮ご夫妻、寬仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまも5日間の喪に服されるという。桂宮さまのご両親である三笠宮ご夫妻は30日間、めいに当たる三笠宮家の彬子さま、瑶子さま、高円宮家の承子さま、典子さま、絢子さまは7日間、喪に服される。(SANKEI EXPRESS

 ■桂宮宜仁親王殿下(かつらのみやよしひと) 三笠宮崇仁親王殿下と同妃百合子殿下の第2男子として、1948(昭和23)年2月11にご誕生。皇位継承順位は第6位だった。71年に学習院大学法学部政治学科を卒業し、オーストラリア国立大学大学院にご留学。73年に帰国、74~75年にNHKで嘱託として勤務された。88年1月に三笠宮家から独立し、独身皇族として戦後初めての新宮家となる桂宮家をご創設。88年5月に急性硬膜下血腫で倒れたが、リハビリを重ね、91年に車いすで公務に復帰された。日・豪・ニュージーランド協会、大日本農会、大日本山林会、日本工芸会などの総裁を務められた。生涯独身を通された。

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