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「母はあなたが誇り」息子の願いつなぐ 東日本大震災3年 各地で追悼行事

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「母はあなたが誇り」息子の願いつなぐ 東日本大震災3年 各地で追悼行事

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岩手県下閉伊郡山田町で祈りや願いを書いた竹灯籠に火をともす男の子。495個の竹灯籠で「3・11_山田」の文字が作られた=2014年3月11日午後(大橋純人撮影)  岩手代表・浅沼ミキ子さん

 東日本大震災は3月11日、発生から3年を迎えた。1万8000人を超す死者・行方不明者に、関連死約3000人を合わせた犠牲者は2万人を超えた。東京都千代田区の国立劇場では政府主催の三周年追悼式が天皇、皇后両陛下をお迎えして開催された。震災発生の午後2時46分に黙祷(もくとう)が行われ、犠牲者の冥福を祈るとともに復興への努力を誓った。被災各地でも追悼行事が催され、列島が鎮魂の祈りに包まれた。

 未来へ語り継ぐ

 「あなたが大好きだったこの街を安心して暮らしていける街になるように、復興へと歩んでいきますから、ずっと一緒に見守っていてください。母は、あなたを誇りに思います」

 岩手県遺族代表として政府主催の追悼式に参列した陸前高田市の団体職員、浅沼ミキ子さん(50)。消防団員として最後まで避難誘導を行い、命を落とした長男の健(たける)さん=当時(25)=をねぎらうと、涙で言葉を詰まらせた。

 「生かされた私たちは亡くなった方々の無念さ、ご遺族の悲しさと悔しさを、未来へ語り伝えていかねばなりません」。まさに息子の願いをつなぐ3年間だった。昨年(2013年)5月に夢に出てきた健さんの願いを題材にした絵本「ハナミズキのみち」(金の星社)を出版。高台へと続く避難路に目印となるハナミズキの木を植える活動を行っている。

 正義感が強く、まっすぐな息子だった。健やかに育ってほしいとの願いを名前に込めた。弱い人を守ろうとする優しさを持っていた。結婚を考える彼女もいた。

 「やっとやりたい仕事みつけたよ」と笑顔で報告してきた健さん。市の正規職員への採用を控え、臨時職員だったときに、東日本大震災が起きた。大きな揺れの直後、住民を避難誘導する息子に会った。「ご無事でなにより」と、冗談めかして敬礼しにっこりと笑いかけてきた。その後のことはよく分からない。津波にのまれたのだろう。健さんは10日後に遺体で見つかった。

 避難路に沿って

 息子を残し、「自分だけ高台に行ったようになってしまった」。自分を責めた。3カ月後に夢をみた。健さんが、高台に続く4本の避難路に沿って、「逃げる人が迷うことのないよう、ハナミズキの木を植えてほしい」と訴える夢だった。

 《町の人たちがもう二度と津波でかなしむことがないように、ぼくは木になったり、花になってみんなをまもっていきたいんだ》

 健さんの夢をもとに浅沼さんがノートに記した文章だ。それが元編集者の目にとまり、詩となり、絵本となった。

 浅沼さんは夢を現実にしようと、被災者7人で「ハナミズキのみちの会」を立ち上げ、避難路の早期整備を求める活動を開始。絵本やインターネットを通じて賛同の輪が広がり、すでに5000人の署名が集まった。

 「私たちのもとに生まれてきてくれたこと、ありがとう」

 ハナミズキの花言葉は「私の思いを受けてください」。優しかった息子の思いは母へ、そして未来へとつながっていく。(SANKEI EXPRESS

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