ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
社会
【広島土砂崩れ】「役に立ちたい」 ボランティア懸命
更新
被災現場には多くのボランティアか駆け付け、土砂や瓦礫の撤去作業などに当たった=2014年8月23日午前、広島県広島市安佐南区八木(松永渉平撮影) 広島市を襲った土砂災害から4日目を迎えた8月23日、生存率が著しく下がるとされる「発生から72時間」を過ぎた。現場では懸命の捜索活動が続いているが、街はまだ泥に覆われたままだ。「何か役に立ちたい」と、駆け付けたボランティアたちも被害の甚大さに言葉を失った。被災住民の多くは生活再建の見通しも立たず、不安を抱えたまま初めての週末を迎えた。
被害が大きかった安佐(あさ)南区の緑井地区。流出した泥水が積もった土砂に溝をつくり川のように流れる。近くにはがれきとなった民家。消防隊員らによる捜索で身元不明者が見つかった。
「足の部分が見えた。パジャマが似ている」。捜索していた消防隊員が、そばで見守っていた男性2人に近寄り、そう告げた。2人は無言で、親しい人の死を必死で受け入れようとしているようにも見えた。
「72時間なんて関係ない」。安佐南区八木の無職、野津竹志さん(59)は多くの行方不明者を思い、つぶやいた。自宅前の排水溝を埋めた土砂を黙々と取り除いていた。
安佐北区の可部小学校の体育館に避難している形部初枝さん(92)は、「高血圧で歩くとふらふらする」と訴えた。
災害のあった(8月)20日朝、警察官に背負われてここに来た。着替えもなく、一度も風呂に入っていない。降圧剤も服用できていなかったが、ようやく病院に行き2週間分の薬をもらった。「いつまでこの生活が続くか分からない。血圧が安定するか心配」と気をもむ。
安佐北、安佐南の両区に設けられた16カ所の避難所には、8月22日の時点で最大で約2400人が避難した。高齢者が多いため、各施設で保健師を配置し、健康相談に乗っている。ただ、将来不安を伴う被災生活は過度のストレスをもたらし、急激に体調が悪化するケースも多い。
一方、被災地には続々とボランティアが支援に駆けつけ、泥やがれきの除去に当たった。
「近くで困っている人がいるのに自宅でのうのうとしていられない」。土砂で埋まった安佐南区の民家の庭で、近くの会社員、今中正明さん(50)はスコップで土をかき出した。
岡山県和気町から訪れた自営業、今井健太郎さん(32)は「どこから手を付けるべきか、途方に暮れている人が多い」と話した。疲れがたまった様子の住民を見て「出来ることをやろう」と決意。ある程度復旧のメドが付くまでは、ここにとどまるつもりだ。広島市東区の大学准教授の米国人女性(45)は「仕事で言葉のサポートを受けている。掃除でもなんでもいいから手伝いたい」と話した。
≪「一緒に行っていれば」 救助に向かった夫戻らず≫
豪雨の中、妻に「危ないから来るな」と言い残して自宅を出た夫は、生きて戻らなかった。広島市の土砂災害で安佐北区の坂原昭夫さん(83)は増水した川に流され、約17キロ下流で遺体が発見された。8月23日に身元が判明。妻、鈴子さん(77)は「ついて行けば助けられたかも」と悔やむ。
「川があふれて大変なことになっている。助けて」。雨が激しさを増していた(8月)20日午前3時ごろ、寝静まっていた坂原さん宅を近くの住民が訪ねてきた。救助に行こうとする坂原さんは鈴子さんに「危ないから家にいるように」と言い、停電で真っ暗な外に飛び出していった。
約1時間後、住民が慌てて戻ってきた。橋に引っ掛かった木を取り除こうとして坂原さんが川に流されたと伝えられた。
夜が明けると、何度も川の護岸に足を運んだ。泥水が残る自宅付近で、坂原さんの懐中電灯や愛用の青い野球帽を見つけた。「一緒に行っていれば、落ちそうになっても引き上げられたかもしれない」。鈴子さんは、乾いた泥だらけの帽子を顔に近づけ、目に涙をためながら振り返った。
結婚して50年。以前は土木業をしていた坂原さんは、行方不明になる前日も近隣の石垣の修理を手伝っていた。鈴子さんは「頼まれたら断れない人だった」。
坂原さんは近年、遍路道を巡るようになり、24日には四国行きのバスツアーに参加する予定だった。鈴子さんは「『90歳まで生きて孫の結婚式を見たい』と言っていた。元気で足腰も強かったのに」と話した。(SANKEI EXPRESS)