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広島土砂災害1カ月 犠牲者74人を追悼 「怖かったよね」友、家族に語りかけ

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広島土砂災害1カ月 犠牲者74人を追悼 「怖かったよね」友、家族に語りかけ

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遺品などの捜索作業前に黙祷をする警察官ら=2014年9月20日、広島県広島市安佐南区八木(松永渉平撮影)  74人が亡くなった広島市の土砂災害の発生から1カ月となった20日、中区の市役所で、犠牲者を追悼する行事が営まれ、遺族や市民らが花を手向けた。松井一実(かずみ)市長は「教訓を肝に銘じ、安心に暮らせる町の実現に向け全力を尽くす」と追悼の言葉を述べた。

 市役所1階のロビーに献花台を設置し、黙祷(もくとう)した後、松井市長と湯崎英彦知事が献花。松井市長は「(犠牲者の)無念の思い、いかばかりかと痛恨の情を禁じ得ない」と哀悼の意を表し、湯崎知事は「災害死ゼロ」を目標に掲げ、県全体で防災対策に取り組むことを誓った。

 次女、村田宏美さん(54)と利主さん(59)の夫婦を失った西本幸子さん(77)は「何が何だか分からないまま1カ月が来ました。今日は涙を流してはいけないと思ったけど、ついねぇ」と手にした白いハンカチを目に当て、「これから現場をもう一度見に行ってあげたいと思います」と会場を後にした。

 19日夜の時点で約70人が避難所生活を余儀なくされ、避難勧告も一部で継続。50万立方メートルと推定される量の土砂やがれきは、10月上旬までに撤去する計画だが、最終的な処理まで時間がかかりそうだ。

 市によると、安佐北(あさきた)、安佐南(あさみなみ)両区の道路での土砂撤去をほぼ完了し、宅地での作業は、安佐北区で9割、安佐南区で7割を終えた。

 ≪「怖かったよね」友、家族に語りかけ≫

 笑顔に似合う花手向け

 広島市の土砂災害の現場では20日、家族や友人らが花を手向け、犠牲となった故人をしのんだ。ボランティアセンターには長い列ができ、「力になりたい」と、土砂やがれきの撤去に多くの人が協力した。

 最大の被害が出た安佐南区(あさみなみく)八木3丁目。会社員の池内麻衣さん(31)は、ひまわりの花束を持って現場を訪れた。高校の同級生だった冨永美奈子さん(31)の笑顔にこの黄色い花がぴったりだと思ったからだ。

 土石流は美奈子さんを含め一家4人の命を奪い去った。その自宅付近にはまだ大量のがれきが残っている。「怖かったよね。苦しかったよね」。池内さんはそう語りかけた。「でも家族が一緒。寂しい思いはしていないよね」

 思い出さない日はない

 八木4丁目で犠牲になった伊呂波(いろは)雅子さん(52)宅付近。うずたかく積み上がったがれきの横で母親の辰見美代子さん(76)が座り込んでいた。

 彼岸でもあり、島根の実家から線香をあげにきた。「娘はよく農作業を手伝ってくれた。ああしてくれた、こうしてくれたと思い出さない日はない」

 災害の2日前には実家で一緒に夕食を食べた。「風呂では背中を流してくれたのに」と泣き崩れた。

 避難所となっている安佐南区緑井の佐東公民館。ピーク時に500人だった避難者は34人まで減った。自宅に戻れず、1カ月ここで暮らしてきた男性(74)も、最近ようやく仮住まいが決まった。「暑かった季節が過ぎて、肌寒くなった。あのときは考えもしなかったが、今は雨や雷になると、逃げなければという意識になった」と心境の変化を語った。

 早朝からボランティア

 安佐南区中須の災害ボランティアセンターには早朝から行列ができ、午前8時半の時点で300人が申し込んだ。市によると、この1カ月で全国から延べ3万6000人が参加し、泥のかきだしなど復旧作業を手伝った。

 団体職員の山田麻衣子さん(26)は仙台市から駆けつけた。東日本大震災では祖母の家が津波に襲われたという。「ひとごとと思えずにここに来た。見慣れた風景が壊れるのは悲しいこと」と被災者の気持ちを思いやる。「1カ月がたっても人手が必要な状況にかわりはない。話を聞いて、寄り添ってあげたい」と話した。(SANKEI EXPRESS

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