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【RE-DESIGN ニッポン】自然が育むジャパン・ブルー
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本藍染矢野工場の2代目、矢野藍游(らんゆう)さん。天然灰汁発酵建て本藍染技術保持者であり、徳島のモノづくりの次世代を代表する人物である=2014年9月6日、徳島県板野郡藍住町(提供写真) 徳島はかつて阿波国と呼ばれていた。そして、そこで生み出される「阿波藍」で染められた藍色は「ジャパン・ブルー」として世界で称賛されている。化学染料による染めが広がった明治以降、阿波藍は減少してしまったが、「天然灰汁(あく)発酵建てによる本藍染」という江戸時代から伝わる技法を受け継いでいるのが「本藍染矢野工場」である。「RE-DESGIN ニッポン」の第6回は、この日本ならではの色合いを生み出す藍染の文化と技術を受け継ぐ現場について取り上げる。
阿波では、平安時代に藍の栽培が始まったとされる。藍色はかつて「褐色」と言われ、「勝色」に通じることから、戦国時代に武士が好んで鎧下を藍染めで染めるようになり、生産が本格化された。そして清流・吉野川が台風襲来のたびに氾濫を繰り返してきたため肥沃な土が流域に運ばれたことや、台風シーズン前に藍の収穫ができたことなど、恵まれた自然条件が阿波を藍の産地にした。やがて阿波藍は市場の過半数を占めるほど、高い品質を誇り、江戸時代には「天然灰汁発酵建てによる本藍染」の技法が確立された。
しかし、明治期に化学合成の人造藍が大量生産されるようになると、天然藍の生産は衰退の一途をたどり、現在、自然素材だけを使った藍染は生産量全体の1%程度にとどまるという。その伝統技法を受け継いでいるのが「本藍染矢野工場」だ。今回、2代目の矢野藍游(らんゆう)さんに話を聞いた。
「天然灰汁発酵建てによる本藍染」は、材料も道具もすべてが自然素材が使われている。藍染めで良い色を出すためには、藍が気持ちよく生きられる26度の液温と適度なアルカリ性の状態を保つことが必要となる。そのためのプロセスを「藍建て」と呼ぶ。地元の焼き物「大谷焼」でできた壺に「すくも」(藍の葉を発酵させて染料にしたもの)を入れ、カシの木から取った灰汁に溶かし、日本酒、石灰、ふすまを段階を追って加えていく。そして竹の棒でかき混ぜる。
これを3時間ごとに繰り返しながら作業していくのだが、ポリタンクでは温度管理が難しい。中に空間がある竹の棒でないと藍の発酵度合いが手に伝わってこない。また、つぼに当たっても竹の方が柔らかいためつぼが割れず、撹拌(かくはん)作業がしやすい。すべての工程に意味があり、その意味をしっかりと説明してくれるところは、一流の職人に共通する点だ。そうして熟成されてくると表面に「華」ができる。日々、「華」は大きくなり、独特の臭いをより強く発するようになっていく。藍が気持ちよく生きている状態だ。
「徳島でも人造藍を混ぜたものを『藍染め』と称したり、石灰の代わりに苛性ソーダを使ったりもしている。藍の産地なのだから、徳島だけでもしっかりしないと」と、矢野さんは話す。
苛性ソーダだと堅牢性が落ち、色移りしやすくなる。実際に矢野さんが染めた生地を見せてもらったところ、これまで見てきた藍色が本物でなかったことが一目瞭然であった。それくらい発色の違いもはっきりしている。天然素材のみで作られるため、肌にも優しい。
もちろん昔ながらの技法を守るだけではない。四季のある日本では温度変化があるため、春と秋など一定の季節しか藍染をしないところもある。しかし、矢野さんは藍染のニーズに応えるために26度の液温を保ち続ける空調管理を行っている。
変えるべきところは変え、変えてはいけない本質を守り続けることで、本物の「ジャパン・ブルー」を維持していく。この姿勢こそがまさに本物である。(「COS KYOTO」代表 北林功/SANKEI EXPRESS)