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筒井康隆の「破壊力」 今も健在 町田康
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(町田康さん撮影)
私は読み狂人。朝から晩まで読んで読んで読みまくりたる挙げ句の果てに黄泉の兇刃に倒れたる者。そんな読み狂人だって子供の頃は普通の子供だった。毎日、ハンケチとちり紙を持ち、ランドセルを背負って元気よく小学校に参り、校訓であるところの、「元気で仲良く」を実践していた。
その頃、テレビジョンでは、「おはよう!こどもショー」というプログラムを放映していて、ロバ君、というロバを戯画化したキャラクターが人気を博し、読み狂人も他の普通の子供と同じく、これに狂熱していた。そしてその頃、ピンキーとキラーズ、という人々が唱う、「恋の季節」という楽曲が流行し、老いも若きもみな、この歌に狂熱していた。勿論、読み狂人もこれに狂熱して、朝な夕な、わーすれられないのー、あーのひとがすきよー、など唱ってまるで莫迦(ばか)のようであった。
といってなにが言いたいのかというと、読み狂人も生まれつきの読み狂人ではなく、昔は普通の前途ある少年だったのだが中途で心の駒が狂って読み狂人になってしまった、ということを言いたいのである。
じゃあ、なんで突然に心の駒が狂ってしまったのか。
実ははっきりしている。中学1年の時に筒井康隆の小説を読んでしまったからである。
それまで読み狂人は、世の中には常識、良識というものがあり、自分がそれをわからぬのは自分が未だ幼稚であり未熟であるからでいずれ大人になれば、そうしたものを会得して天下国家のために役に立つ人間になることができる、と信じていた。
ところが、筒井康隆の小説を読んで、そんなものはクソだと思うようになった。それから後は一瀉千里、いろんなことがあったが、あれよあれよ、という間に読み狂人に成り果ててしまった。
けれども。世の中というものは、世間というものは、それなりに鞏固(きょうこ)なもので、若死にすればよかったのかも知れないし、そうすべきだったのかも知れないが、なんとか生き延びているうちに、船底に貝殻や蛎殻(かきがら)が着くように常識や良識というものが、知らず知らずのうちに付着してしまい、けれども心棒がそもそも傾いているので、それを活用することもできずに変な風にこじれてしまい、困っていた。
そんなとき、この、『繁栄の昭和』を読んだ、読み狂人は、わはは、助かった。
小説を書く場合、自分の知っていること。体験したこと。見聞したこと。が、その小説の題材に含まれると、どうしても、こころこごろ、漢字で書くと、心心に流されて、風情とか情緒とかが生まれ、その情緒が濃厚であればあるほど、世間的、というのは、文学的な世間も含むのだけれども、尊ばれるのだけれども、筒井康隆はそんなものとは無縁で、そのこと、というのは知っていること、と同時に知らないことも、最大限に活用して、異界としての昭和を描きまくりたくって、読み狂人の人格をいい感じに破壊してくれた。
うれしいなあ。たのしいなあ。最近は良識を身につけて近所にしか行ってないけれども、アホになって死ぬくらい遠くに行きたいなあ。と読み狂人、思った。筒井さんには及ばんけど、と。(元パンクロッカーの作家 町田康(こう)、写真も/SANKEI EXPRESS)