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【坂上忍の白黒つけて何が悪い!】もれなく泣いちゃいました
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果たしてこの作品を語るに、本コラムの限られた文字数で足りるのだろうか? まずは、いつも以上にざっくりとしたストーリーを…。
とあるポーランドの片田舎に生まれた次男坊は、生まれながらに脳性まひを抱えた子。その男の子が、数々の苦難と葛藤を繰り返しながらも骨太に成長していくさまを、本作は静かに描いている。
ね、すんごくざっくりしてるでしょ。
で、感想はというと…。
正直、この手の作品をわたしは基本的に好まない。なぜならば、子役が主役だったり、動物が主役だったり…となると、批判するにもリスクが伴うため、無駄に賛辞が羅列される傾向にある。同様に、障害をテーマとし、実話となればなおさらである。
が、この作品は別物と断言させていただきます。まぁ、多少のデフォルメは入っているのかもしれないが、とにかく事実を勇気を奮って淡々と描いているのである。カメラアングルもほぼFIX(固定)で、レールだ、クレーンだ、という映像のまやかしを排除しているため、必然的に人物にフォーカスが向けられる。
演出も「間」を怖がることなく、過剰な演出に走らない=逃げない-ことによって実話であることの信憑(しんぴょう)性が増している。
まさに、スタッフサイドの勇気が生んだ珠玉の作品と言っても過言ではない。結構、生意気なこと言ってるでしょ。でもね、言いたいの!
何故ならば、わたし、20歳そこそこのころ、脳性まひの役をやったことがあるんです。その作品も実話でした。ご本人にも会いに行きました。
その時に感じたこと、目の当たりにさせられたことはね。ご本人の生命力もすごいんだけど、世話をしていたお母さんがすごいのなんのって。ひと言で表すならば、いたって普通に育ててるんです。傍目(はため)から見れば、普通じゃないんですよ。でもね、だからこそ「普通」というモノを誰よりも大事にしている。
普通に叱る。普通にほったらかす。普通に下(しも)の世話をする。
大袈裟(おおげさ)ではなく、衝撃でした。なんか、自分自身が情けなくなりました。
で、いざクランクインです。忘れられないワンシーンがあります。脳性まひを抱えた役のわたしが、初めて彼女ができて新宿をデートするシーン。撮影時期は年末の忘年会シーズンでした。酔っ払いであふれた歌舞伎町で、監督は隠し撮りをすると言う。嫌な予感はしましたが、監督に言われたら従うしかありませんからね。
で、「よーいスタート」です。わたしは歩行器を抱えながら、彼女と歌舞伎町の大繁華街を歩く。すると、酔っ払いのサラリーマンさんでした。わたしに向かってなんて言ったと思いますか?
「おい、しっかり歩けよ!」
自然と、悔しくて悔しくて、涙があふれ出ました。そのサラリーマンの方を今さらとやかく言うつもりはありません。ただ、なにが悔しかったって…「これが現実なんだ」ってことですかね。
そんな経験をさせていただいたからこそ、わたしはね、この手の作品を見て安易に泣きたくはないんです。でも、もれなく泣いちゃいましたよ。だって、「障害」というモノを利用したお涙ちょうだい映画ではなかったですから。そんなんだったら、それこそ普通にボロカスに書いてたと思いますしね。
やっぱ…ページが足りないな。だから、最後にひとつだけ。本編が終わり、テロップが出るんです。このひと言だけ、ネタバラしさせてください。
「ぼくは生きたい」と…。
せっかく、本編を見ている間は我慢してたのに、このひと言を見て、涙が止まらなくなってしまいました。そして、どんなに苦しくてもぶざまでも惨めでも、生き続けなきゃいけないと思わされました。(俳優、タレント 坂上忍/SANKEI EXPRESS)
脳性まひの障害がある男性の青春時代をみずみずしく描いたポーランドのヒューマンドラマ。幼少時に医師から「植物状態」と診断されたマテウシュ(ダビド・オグロドニク、少年時代はカミル・トカチ)だが、それでも愛にあふれた両親(アルカディウシュ・ヤクビク、ドロタ・コラク)のもとで幸せな日々を送った。
だが、マテウシュは成長とともに体が大きくなり、家族との同居は困難となって、姉の結婚を契機に病院生活を送ることになった。憤懣(ふんまん)やるかたないマテウシュはある日、美しい看護師、マグダ(カタジナ・ザバツカ)と出会い…。マチェイ・ピェブシツア監督。作品は2013年モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞。12月13日、東京・岩波ホールほかで全国順次公開。
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