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【木村英輝さん 生命を描く】(4-2) 日本初のポップアート 受け継ぐ
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東西南北を司る4体の霊獣、青龍、白虎、朱雀、玄武が壁面いっぱいに描かれ、訪れる者を魅了する=2014年10月9日、京都市左京区のわらびもち店「峯嵐堂平安神宮店」(田中幸美撮影) ≪大胆配置…俵屋宗達に重なる美意識≫
現代の琳派(りんぱ)との呼び声の高いキーヤン。しかし、本人は「琳派のつもりではやっていない」と、そっけない。
工芸界の中には、琳派の象徴である金を配した商品を量産し、ミュージアムショップなどで売ろうとする動きがあり、そんなビジネス優先の姿勢に辟易(へきえき)していたという。一緒にされたくないので「琳派といわれたくない」とさえ思ったこともあるそうだ。
そう言いながらも、一番好きな作家を聞かれれば、16世紀末から17世紀半ばにかけて活躍した琳派を代表する絵師、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の名前を挙げる。国宝「風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)」(京都・建仁寺蔵)が有名だ。非常にのびのびと自由に表現するのが宗達の作風だが、キーヤンは色紙やすずり箱に絵を描いた作品に興味が湧くという。
時の為政者に保護され、お抱え絵師となっていた狩野派や土佐派などとは対照的に、宗達は町人に頼まれて扇子や小さな屏風に絵を描く町の絵師だった。そこも「カッコええなあと思う」。
400年前の京都といえば、長い戦国の世から解放され、五条河原では出雲の阿国が踊り、色鮮やかな女物の着物を羽織った「かぶき者」などと呼ばれる不良少年が闊歩(かっぽ)した時代。商人は金もうけをするだけでは尊敬を集められず、祇園祭の山鉾(やまほこ)の装飾品を寄付したり、目利きを競っては絵を注文した。春には花見、秋には紅葉狩りと京都の町全体が季節を愛でる舞台となるなど、独特の美意識が育まれていた。そうした背景が琳派を生み出したのでないかというのが、キーヤン流の分析だ。
さらに、「琳派は日本で最初にできたポップアートや」とも話してくれた。権力者ではなく、町衆(ちょうしゅう)から生まれた絵のムーブメント、琳派。かたや、額に入った絵を描いたり、美術展に出展したりせず、町中に絵の舞台を求めるキーヤン。どこか似たにおいを感じるのは記者だけではないだろう。
「京都にいる間にそういう(琳派の)DNAが乗り移って、こういうことしてんのかもわからんな」。キーヤンがこんな風につぶやくのを聞いた。琳派の絵師は家系や師弟関係ではなく、時間や場所を超えた私淑によって独自の芸術様式を断続的に継承してきた。キーヤンがその系譜に連なっていても不思議ではない。
京都府立文化芸術会館館長の下田元美(もとよし)さんは数年前の祇園祭の際、室町通の帯問屋の店先に掛けられた巨大なタペストリーに目を奪われた。「イキのいい仕事をしている人がいるな」。270匹のコイはまるで天に登るかのように描かれていた。そして、「勢いとすっきりとしたデザインは完全に琳派だ」と思ったという。それがキーヤンとの出会いだった。
「(キーヤンは)理屈をこねることを嫌い、直感を頼りに生きることを選んできた。どの壁画も見る者にそのことを語りかけてくる」と下田さん。
宗達は迷うことなしに描いたと思われるが、キーヤンの筆にも迷いは見られない。描くのはもっぱらスケッチできる動植物。「意匠化された動植物や大胆な配置、そしてデフォルメと省略の妙。これらは宗達がたどりついた美意識と重なる」。こう説明する下田さんは、自信を持って言い切った。
「生き方と作品を見る限り、キーヤンは現代の宗達といえる」(田中幸美(さちみ)、写真も/SANKEI EXPRESS)