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認識のウソ、不確かさを暴く 高松次郎ミステリーズ
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約半世紀前、「影シリーズ」などで現代アートの旗手として脚光を浴びた高松次郎(1936~98年)の回顧展「高松次郎ミステリーズ」が、東京国立近代美術館(東京都千代田区)で開かれている。遠近法や言葉のウソなど私たちが当たり前だと思って事物を見てきた「認識の汚れ」を、次々はぎ取ってきた高松。その謎に満ちた難解な作品を丁寧に読み解いている。
「遠近法の椅子とテーブル」を見てほしい。正面から見た写真では整然と並んだテーブルと4脚の椅子だ。ところが側面から見てみると傾斜でゆがみ、とても座れるような代物ではない。種を明かせば、1つの消失点に線が向かう遠近法(一点透視図法)にのっとって3次元の空間を2次元の製図に落とし込み、さらに、それを3次元に再構築した作品。
手の込んだ技法で高松が伝えたかったのは、遠近法というもっともらしいシステムにウソが潜んでいること。遠近法はルネサンス期の15世紀から、風景画では500年も用いられ常套(じょうとう)化したが、私たちの生理的な視覚とは無関係の一形式にすぎないことを思い知らされる。
さらに高松は、「描かれた事物から消失点までの直線の長さが距離を示す」という遠近法の考え方に異議を唱えるように、消失点がせり出し、やがて線に変化して周囲の空間を取り込んでいく「点」シリーズを描き、その線が生き物のように増幅したヒモの作品も発表した。
代表作のようにも言われる「影」シリーズも遠近法と無縁ではない。電球(光源)を「点(消失点)」とすれば、「逆遠近法」のように、電球から物体の距離に従い、影は大きくなったり小さくなったりする。電球が2つになれば影も2つに増える。
「No.273(影)」には、赤ん坊の影が2つ描かれている。これは本物の影ではない。高松は言う。「影を(影だけを)人工的に作ることによって、ぼくはまず、この実体の世界の消去から始めました」。実体と影は物理的に結びついている。だから、影だけを描いたときに“実体”が消え、「不在化」するというのだ。まるで手品だ。ところが、高松はこれで終わらない。「より純粋な不在というものはあると思う」とまで言う。
高松が標的にしたのは、遠近法だけではなかった。言葉による認識の不確かさもその一つ。例えば「木の単体」。細かく砕かれた木片は、「木」と呼べるものだろうか。私たちが考える土台にしている事物の「概念(言語)」が、存在の全体ではなく、一部分しかカバーしていないことが分かる。
さらに、「複合体(椅子とレンガ)」では、傾いた椅子が「座れる」という機能をなくし、その下のレンガも本来の用途に使われず、どちらも名付けようのないモノに変化する。いかに言葉とモノの関係は危ういものかを暴いてみせた。
ここまでの作品をみると、作品の裏側に込められたコンセプト(考え方)は分かっても、味わいがあり、鑑賞に十分堪えうる作品とは言い難い。しかし、高松は1970年代から、色彩を伴う絵画らしきものを描き始めた。
「平面上の空間 No.850」は、右側に曲がった太いブルーの帯がよぎり、左側は、定規やコンパスで描いた直線や円の一部とみられる線で構成されている。
この制作時期の解説を担当する保坂健二朗主任研究員は、線が途中で消えていることに着目する。「もしZ軸も持つ3次元が想定されているのだとしたら、いわゆる断面図と考えることができる。いま直線と見えているものが、実際には、こちら側か奥側に進んでいるために、Z=nの箇所で切った場合、一部見えなくなっている」と分析する。
同時期に高松は「しわ」を題材にした作品も制作。しわの寄った紙に描かれた直線は、拡大してみれば、でこぼこの3次元空間に途切れながら塗られた塗料だということが分かる。遠近法と取り組み、いつも1~3次元まで行き来してきた高松の姿勢は変わっていない。
「形No.1202」のような形シリーズでは直線が失われ、フリーハンドの曲線が用いられて色彩や表面の質感が強調されている。保坂主任研究員は高松がモンドリアンを意識していたことに触れ「それまでの絵画とは違う、新たな表現を目指していたといえるだろう」と話す。
今月6日に美術館内で開いた美術評論家の高島直之氏(武蔵野美術大教授)との対談(講演会)で、高松の私塾1期生だった美術家の堀浩哉氏(多摩美術大教授)は、こう振り返った。
「高松も出発は絵描き。時代の制約のなかで、絵を捨てざるを得なかったが、本当は絵を描きたかった。しかし絵画に戻るには、手立てが必要だった」
高松が世に出た1960年代は「絵画の死」が語られ、学園紛争の嵐が吹き荒れ、既存の価値観が否定された。絵を描くには新しい方法論が必要だった。
70年代後半から高松は、トレードマークのサングラスを外した。96年には展覧会のカタログの中で「抽象絵画にもさまざまなタイプがあるわけで、画家各人が独自な絵画世界を発明発見しなければならないものです。そこでどんなことが表現されているのか、それが言い表せないような場合でも、見る人に感動があればいいのです」と記している。
コンセプトを冷徹に最重視してきたはずの高松が、見る者の感動を第一に挙げた。心境がどう変化したのか。それも謎の一つとして残し、高松は“不在”の世界に旅立った。(原圭介/SANKEI EXPRESS)