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時代の先駆者たち その存在を知ってほしい 「中村屋サロン -ここで生まれた、ここから生まれた-」
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中村彝「小女」(1914年、提供写真)
明治から昭和初期にかけ、荻原守衛(碌山、1879~1910年)、中村彝(つね、1887~1924年)、會津八一(1881~1956年)らの芸術家たちが集った「中村屋サロン」が約70年の時を経て、「中村屋サロン美術館」(東京都新宿区新宿)として復活した。ゆかりの芸術家を紹介する開館記念特別展が開かれており、将来は若手アーティストを支援する取り組みにも着手するという。
サロン形成の発端は、中村屋の創業者だった相馬愛蔵(1870~1954年)、黒光(こっこう、1875~1955年)夫妻と荻原の親交に始まる。愛蔵と荻原は長野県安曇野市出身の同郷。黒光は仙台市出身だが、絵画など芸術に造詣が深かった。愛蔵が設立した「東穂高禁酒会」に参加した荻原は、黒光が嫁入り道具として持参した長尾杢太郎の油彩画「亀戸風景」に感動し、芸術家を目指した。
相馬夫妻は1901年に東京都文京区本郷東大正門前で菓子・食料(パン)店を創業。09年に新宿の現在地に移転した。クリームパンや中華まんじゅう、「カリーライス」など、当時は一般になじみのないメニューを提供し、話題を呼ぶ。
一方、渡仏してロダンの「考える人」に大きな衝撃を受け、ロダンから教えを受けた荻原は、彫刻家を目指し08年に帰国した。新宿にアトリエを構え、午前中は彫刻の制作、午後は中村屋で過ごすという生活が続く。やがて荻原の芸術家仲間や新聞記者らが集まるようになる。10年、荻原が死去。11年に中村屋裏に荻原のアトリエを移し、「碌山館」と名付けて作品を公開した。
荻原と交流があったり、中村屋サロンに集まった芸術家は、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)、夏目漱石の「吾輩は猫である」の装丁画で知られる書家・洋画家の中村不折(1866~1943年)、中村屋裏のアトリエに住んだ画家の中村彝、彫刻家の中原悌二郎(1888~1921年)、歌人で書家の會津八一、新劇女優の松井須磨子(1886~1919年)らで、延べ40~50人に上るという。
しかし、荻原、中村彝、中原らサロンの中心人物が結核によって30代の若さで他界。さらに、45年の空襲による店舗の焼失や、54、55年の相馬夫妻の死などで、戦後は急速に衰退した。
10月29日にオープンした新美術館は、新宿中村屋ビルの改装とともに3階に設置された。広さは約240平方メートル。特別展では、中村屋の収蔵品のほか、荻原の死後の17年から、故郷の安曇野市で作品を公開してきた「碌山美術館」(58年に財団法人化)から借りるなどして、彫刻、絵画、工芸、書など計約50点を展示している。
“近代彫刻の祖”と呼ばれた荻原や、セザンヌやゴッホから西洋絵画の技法をどんどん取り入れた“洋画の鬼才”中村らは、日本の近代美術を切り開こうとした先駆者だったが、「いまは以前より認知されにくくなっている。ぜひ、若い世代にも存在を知ってほしい」(太田美喜子学芸員)という。
染谷省三館長は、「当館は小規模な施設ではあるが、大新宿駅を控える立地特性を生かし、多くの人が集い、気軽に芸術に触れられる場、まさにサロンを目指したい」と話した。(原圭介/SANKEI EXPRESS)
開館記念特別展「中村屋サロン-ここで生まれた、ここから生まれた」は、来年2月15日まで、中村屋サロン美術館(東京都新宿区新宿3の26の13、新宿中村屋ビル3階)。(電)03・5362・7508。