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空想が生み出した1つの「画業」 「フジタ、夢をみる手」
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レオナール・フジタ「グロテスク」1955年(提供写真)。(C)Fondation_Foujita/ADAGP,Paris_&_JASPAR,Tokyo,2014_D0829
フランスに帰化した藤田嗣治(つぐはる、1886~1968年)の晩年の作品を集めた「フジタ、夢をみる手」が、24日から「ポーラ ミュージアム アネックス」(東京都中央区銀座)で始まる。都内では未公開だった作品2点を含む約40点を展示。藤田が空想によって描いた神話や宗教、少女や幼児といったテーマにスポットを当てる。
都内で初公開される作品は、「グロテスク」(1955年)と「シレーヌ」(52年)。
「グロテスク」には、22人の人物が描かれているが、愛らしい、または美しい姿はない。どれもこれも猜疑心やあざけり、欲望や企みに満ちた醜い表情だ。背景も崩れ落ちた城砦と夜の暗い空のようで、不気味さを感じる。
シレーヌとは、ギリシャ神話に出てくる海の怪物。美声で歌って船乗りの心を狂わせ、船を難破させる。ぼうぼうに伸びた髪、美しいが、どこかシレーヌ2人の表情には死の影も漂う。
言うまでもなく藤田は、第二次世界大戦中、従軍画家として戦争画制作で中心的な働きをした。公職追放は受けなかったが、批判から逃げるように、米国を経由してパリに向かった。
パリで暮らした晩年をつづった「夢の中に生きる」の中で、藤田は、妻の言葉のようなかたちで書いている。「あんた(藤田)が日本に生まれたのがいけないのよ。日本人が皆あんたをやきもちして、ねたんで嫌がらせして葬ってしまいたいのよ。日本人ほど、陰にかくれて策動して結託してたくらんでいる人はないわよ。ことごとくがうそつきで信用が出来ない人ばかりだわ…」(67年2月)
こうした恨み事を書きくたくなるほど、藤田の心の傷は終生、癒えることはなかった。仏国籍取得と日本国籍の抹消、カトリックの洗礼という“日本との決別”と“フランスへの同化”。その中で藤田が目指したものは何だったのか。
ポーラ美術館の島本英明学芸員が指摘するのは、「モデルに沿って描いた戦前までの時代と明らかに違うのは、空想やイマジネーションに基づく制作に変化したこと」だという。
晩年に描いた作品は、「ラ・フォンテーヌ頌」(49年)など寓話に関する作品や、「シレーヌ」など神話による作品、ノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の壁画をはじめとする宗教画、そして少女、幼児たちの絵。「グロテスク」は、ボスやブリューゲルのように、人の醜い罪を描き表した、広い意味での宗教画を思わせる。
少女では、聖母像のように描いたり、果物などを配して装飾的に描いたり。このころの藤田は、イマジネーションと自分の記憶の引き出しを精いっぱい使って表現した。展覧会では、子供のいなかった藤田が、自分の子を慈しむように描いた幼児たちの絵30点もまとめて展示する。
島本学芸員は、「藤田の人生と重ね合わせ、晩年を傷心による『現実逃避』と解釈する人も多いが、空想やイマジネーションを膨らませることで新たな世界を生み出した1つの“実りある画業”だったと位置づけてもいいのではないか」と新たな解釈を提案している。(原圭介(SANKEI EXPRESS)
1950年、パリに到着。
55年、フランス国籍取得。
57年、仏勲章を受章。
59年、カトリック洗礼を受け、レオナール・フジタと改名。
61年、パリ郊外に隠棲。
65年、ノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂建設を決意。
66年、礼拝堂のフレスコ画完成。
68年、1月、81歳で死去。
■「フジタ、夢をみる手」 2014年10月24日~12月28日、ポーラ ミュージアム アネックス(東京都中央区銀座1の7の7ポーラ銀座ビル3F)で。午前11時~午後8時、入場無料。(電)03・5777・8600。