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50年、脚光を浴び続けた「前衛の巨人」 「尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-」
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赤瀬川原平「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」1963年_名古屋市美術館蔵=千葉市美術館で展示予定(提供写真)
あるときは偽札づくり容疑の被告、あるときは芥川賞作家、あるときはパロディー漫画家…。つねに世間をあっと言わせる“芸術”を発信して注目されてきた赤瀬川原平氏(1937年~)。その活動50年を振り返る展覧会が、12月にかけて町田市民文学館ことばらんど(東京都町田市)と、千葉市美術館(千葉市中央区)で開催中、開催予定だ。切り口は異なるが、両展とも“前衛の巨人”ともいうべき赤瀬川氏の多彩な世界を網羅する回顧展となっている。
芥川賞を受賞した尾辻克彦名の小説「父が消えた」の中に、こんな場面が出てくる。八王子市にある父親の墓へ行く列車の中で、同行した雑誌社の男性と話すシーンだ。習慣で三鷹駅から東京駅方向に乗ることが多い列車は、小説では反対の八王子駅方向に向かっている。
「やっぱり反対はいいね」私は同行の馬場君にいってみた。(中略)「そうだ。反対運動だねこれは。反対運動は旅行だね。たとえばね、えーと、たとえばね、自分の家の便所に行くのにね、廊下を行かずに天井裏をはって行く」「うわ、また、先生のは極端ですよ」=馬場君=(中略)「芸術だねぇ、それをやれば」
赤瀬川氏の「旅行」そして「芸術」は「反対をやること」。そういえば、空き缶の内側にラベルをはり直して宇宙を包み込んだ「宇宙の缶詰」、手書きで“千円札”を作品にした「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」、役に立たない階段を超芸術とみなした「トマソン黙示録真空の踊り場・四谷階段」、老いをポジティブに見つめ直した「老人力」など、いつも常識と反対のことをしている。
そして、私たち鑑賞者も、反対のことを知らされることで、いつもと違った“景色”をみる「旅行」に参加できた。
小説家としての赤瀬川氏について町田市民文学館ことばらんどの谷口朋子学芸員は、「尾辻克彦も、表現者の赤瀬川が内包する人格の1つ」としたうえで、才能として「物を解体するような」「空想も現実のように描く」高い描写力を挙げる。
開催中の「尾辻克彦×赤瀬川原平」展は、約250点を展示。うち約200点を赤瀬川家から借用した。愛猫家で知られる氏の猫の置物コレクションや愛用のカメラなど普通の展覧会では見られない物も並ぶ。また図録には、「父が消えた」で同行したとされる雑誌社の「馬場君」こと作家の関川夏央氏が寄稿している。
1995年の名古屋開催以来の大型回顧展「赤瀬川原平の芸術原論」は、63年のハイレッド・センター結成から現在までの活動の流れが一挙に見渡せる内容だ。展示は約550点。
千葉市美術館の水沼啓和主任学芸員によると、世界的には1960年代の日本の前衛芸術が、また日本では68年ごろの全共闘時代の文化が、いま注目を浴びているという。
時代の特徴として、メーンカルチャーとサブカルチャーとの行き来が盛んで、中核にいた象徴の一人が赤瀬川氏。再びメーンとサブの融合が盛んな時代を迎えて小沢剛、村上隆、中ザワヒデキらの「スモール・ビレッジ・センター」など、現代アートに底流でつながっている。
ただ、美術から漫画、文学、写真、映画と次々ジャンルを変えては評価されてきた経歴について水沼主任学芸員は、「自分の分野に他の分野から何かを取り込むのでなく、別な分野に移り住んでしまう赤瀬川さんのような存在は珍しい。50年間で何度も脚光を浴び続けたのは、何度も分野を変えたことにも関係しているかもしれない」と話した。(原圭介/SANKEI EXPRESS)