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「不安」呼び覚ます 謎の世界 「ジョルジョ・デ・キリコ-変遷と回帰」展
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現実と非現実を行き来する不思議な絵で、シュールレアリスムに大きな影響を与えたジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978年)の回顧展が、パナソニック汐留ミュージアム(東京都港区東新橋)で開かれている。展示104点のうち、約8割が日本初公開。謎に満ちたデ・キリコの魅力を再発見できる展覧会になっている。
2011年にイザベッラ夫人の遺志でパリ市立近代美術館に寄贈された作品を含むコレクションが来日した。このうち1910年代に描かれ、衝撃を持って迎えられた初期の「形而上絵画」(メタフィジカ)と呼ばれるものは4点。
その一つ「謎めいた憂愁」(1919年)には箱やビスケット、積み木、胸像、棒などが描かれている。一つ一つのモチーフは、私たちがよく知っているものばかりだが、なぜ、それらが描かれたのか、それらは何を意味するのか、それらの関連性は何なのかは分からない。
例えば胸像は、古代ギリシャの航海や能弁の神・エルメスで、友人で前年に他界した詩人アポリネールの霊を冥府に導かせるために描いたともいわれるが、真意は定かでない。しかも、箱の形は奇妙にゆがみ、床面、棒、箱、壁などの位置関係も、垂直や平行に描かれず、見る者の不安を呼び覚ます。
イタリア人が両親のデ・キリコは、鉄道技師の父親の勤務地ギリシャで生まれた。17歳で父親が死ぬと、母、弟とともにドイツのミュンヘンで暮らし、美術を学ぶ。この3年間に、ニーチェやショーペンハウアーらの哲学やドイツのロマン主義、表現主義の画家から影響を受けた。23歳のときパリでデビューし、形而上絵画が衝撃を持って迎えられ、若くして高い評価を得た。
そうした“多国籍”で複層的といえる生い立ちや思想形成から生まれた形而上絵画は、本人が「自分の絵を理解できるのは世界に2、3人しかいない」と豪語したように、一般人が意図や内容を十分に理解するのは至難の業だろう。
しかし、デ・キリコの形而上絵画を夢のワンシーンととらえると、魅力ある世界に見えてくる。例えば「不安を与えるミューズたち」は、10年代に描いた作品を70年代になって描き直し、彫刻にもしている題材。絵画では、暮れなずむ夕刻なのか、長い影を落とす顔のないマネキンや彫像が、古風な建物をバックに並ぶ。静けさの中に不安が混じり、美しくも憂愁さえ漂う夢のような空間を描き出している。
しかし、デ・キリコは形而上絵画だけにとどまらなかった。イザベッラをモデルに、まるでバロック時代のリューベンスが描いたような「秋」(1940)など、巨匠の古典や伝統的な絵画技法を手当たり次第に学び、作品化した。さらにその後、初期の形而上絵画をそっくり複製化して描いたこともあり、10年代のデ・キリコを高く評価したシュールレアリスムの提唱者アンドレ・ブルトンは裏切りと批判し、批評家たちは「才能の枯渇」と論じた。
最晩年には、太陽を2つ描いた「太陽の寺院」(71年)や室内に水面や神殿が共存する「オデュッセウスの帰還」(73年)など「新形而上絵画」を描いた。次々と画風を変えたデ・キリコの謎に満ちた世界は、さまざまな批評を尻目に、いまでも変わらない光を放っているようだ。(原圭介/SANKEI EXPRESS)