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【「水球女子」中野由美のリオに向かって】好きだからこそ、頑張れる
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韓国・仁川で開かれたアジア大会のシンガポール戦でゴールを決める中野由美=2014年9月24日(共同) 表彰台に立ち、銀メダルを首からかけた瞬間はまさに感無量でした。昨年秋に韓国・仁川で開かれたアジア大会。初出場した私たち水球女子日本代表は、目標にしていた優勝まであと一歩届きませんでしたが、確かな軌跡を仁川に残すことができました。
私は代表チーム最年長の28歳です。前回のアジア大会は出場権があったにもかかわらず、「実力不足」などを理由に代表派遣が見送られました。その後のロンドン五輪も予選で敗退。私よりも先輩だった選手たちは、このときを最後に第一線を退いたのです。
スイミングスクールのコーチや会社でOL生活をしながらプレーした先輩、主婦となって子育てと両立して競技を続けていた先輩…。大会前には、ビデオメッセージをくれたり、電話で話をしたりしました。だからでしょう。若い選手たちとともに上がった表彰台で、これまで水球女子を支えてきてくれた先輩たちのことが脳裏をよぎりました。
私も実はロンドン五輪予選の後、引退を考えたこともありました。当時26歳。それでも、踏ん切りをつけることはできませんでした。大学卒業後、念願かなって就職できた製薬会社を3カ月で退社してまで打ち込んだ水球への思いは消えず、次の目標を見つけることもできなかったからです。
水球という競技をどれほどの読者がご存じでしょうか。女子の種目があることはなおのこと、知っている人も少ないと思います。水球は7人のチームでプール内に作られたコートでプレーし、相手ゴールにボールを入れて得点を競う競技です。泳ぎながらプレーし、水中では激しいコンタクトもあり、「水中の格闘技」とも称されます。
競技との出合いは7歳のときでした。8歳上の兄がスイミングスクールで水球をしていて、試合などを見学しているうちに私自身もプレーしたくなったのです。すっかりのめり込んだ私は中学を卒業するとき、より高いレベルに身を置きたいと思って東京の強豪、藤村女子高校に進学することを決めました。そして、大学も日本一の常連である東京女子体育大へ進んで水球一筋の生活を過ごしました。
女子の水球には実業団がありません。大学のインカレと日本選手権が「2冠」です。大学を卒業しても現役を続ける選手は学生との混合チームで出場します。2009年に大学を卒業するまで全力で競技に打ち込んだ後、私は外資系の製薬会社に就職し、MR(医薬情報担当者)として社会人になりました。
祖母が亡くなったとき、いつか病気の人の役に立ちたいと思い進んだ道でした。体育大から就職するのも珍しかったのですが、直後にアジア大会で水球女子が種目として採用されました。2000年から五輪種目になっている水球で世界と勝負したいという思いは募る一方でした。残念ながら、会社で働きながら、競技を続けられる環境ではありませんでした。春から働き出して3カ月。決心して辞表を書いて退職しました。
しばらくは無職で、その後にフリーターを経て小学校の補助教員のアルバイトをしながら生計を立てつつ、競技に全力を注ぎました。その後、ようやく今の都立高校で体育教諭としての定職に就くことができました。
現在は週17コマの授業を受け持ち、水泳とソフトテニス、硬式女子テニスの3つのクラブの顧問を掛け持ちしています。プールでの実戦練習は週末のみで、普段は夜に時間があればスポーツジムで体を鍛えるくらいしかできません。それでも、アジア大会の銀メダルを手にしたとき、これまでの苦労が報われた気持ちになれました。
そして、挑戦の続きがあります。2015年から始まるリオデジャネイロ五輪予選。これを勝ち抜けば、日本女子初の五輪切符が手にできるのです。
座右の銘にしている言葉があります。「好きだからこそ、頑張れる」。補助教員をしていたとき、ある授業だけやたらと熱心に発言する児童がいました。「なんで」と聞くと、「好きだから頑張れるんじゃん。先生もそうでしょ」と返されました。志半ばでプールを去った先輩たちの分まで、五輪を目指して戦い続けます。
水球女子日本代表として、リオデジャネイロ五輪出場へ向けた戦いの日々をつづります。水球の魅力や、マイナー競技ならではの苦労話も紹介していきます。(水球女子日本代表、東京都立桜町高教員 中野由美/SANKEI EXPRESS)