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【勿忘草】打ち込んだ汗
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第91回箱根駅伝の復路でゴールテープをきる青学大のアンカー、安藤悠哉=2015年1月3日、東京都千代田区大手町(蔵賢斗撮影) 「トップ・レフト」などで知られる作家の黒木亮さんは箱根駅伝の選手だった。早稲田大学在学中、2年連続で出場し、1979年に3区を走った3年時には瀬古利彦さんから首位でたすきを受け取っている。
陸上競技に打ち込んだ生活は自伝的小説「冬の喝采」(講談社文庫)に詳しい。当時の早大競走部監督は強烈な個性で瀬古さんを育てた中村清さんだった。とてつもない練習量をこなし、激しく叱咤(しった)され、苦悩した日々は読んでいるだけでも胸が締め付けられる。
今年の箱根駅伝は青山学院大学が2位に10分以上の大差をつけて圧勝した。復路8区で区間賞をとった4年、高橋宗司(そうし)選手は走り終わった後、付き添いの部員に「めっちゃ楽しかった、やばい」とあふれんばかりの笑顔を見せた。優勝インタビューではどの選手の弁舌もさわやかだった。ワイドショーのコメンテーターは「これまで長距離は悲壮なイメージがあったけど、変わりましたね」と話した。
「やばい」はいまどきの若者がよく口にし、「すごくいい」という意味もある。言葉だけ聞くと軽く感じられ、確かに悲壮感はない。
ただ、箱根選手たちがここに至るまでの道程は、36年前の黒木さんと大きくは変わらないのだろう。1人約20キロをたすきをつないで走るシンプルな行為は変わっていない。監督もOBもなく、自分で自分を追い込むしかない。強靱(きょうじん)な精神力に昔も今もない。
最近、英国に住む黒木さんとメールをやりとりする機会があった。4年時に8区を走り終え、箱根駅伝を引退した日の感想を、こう教えてくれた。
「これでもう中村監督に怒られることもなく、減量に苦しむこともなく、陸上競技から足を洗って辛い練習をする必要もないと思うと、人生最良の夜でしたね」
黒木さんは陸上生活をすっぱりと終え、金融機関に就職。その後、国際金融、小説の世界で活躍する。青山学院大の高橋宗司選手も就職し、陸上から引退するという。何かに打ち込んだ人にしか分からない第二の人生を歩み始めるのだろう。「冬の喝采」の帯に書かれた、中村監督がよく言っていたという格言「若い頃に流さなかった汗は、年老いて涙となって流れる」が重く響く。(小川記代子/SANKEI EXPRESS)