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【阪神大震災20年】1万本の灯籠 失われた命へ祈り

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【阪神大震災20年】1万本の灯籠 失われた命へ祈り

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神戸市中央区の東遊園地で行われた「阪神淡路大震災1・17のつどい」。会場を埋め尽くした人々が地震発生時刻の午前5時46分に黙祷(もくとう)を捧げた=2015年、兵庫県(土井繁孝撮影)  6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から20年となった。発生時刻の午前5時46分、神戸市など被災各地で黙祷(もくとう)がささげられた。人々は失われたかけがえのない命と復興の歩みに思いを巡らせ、災害に強い地域づくりを誓った。

 神戸市中央区の兵庫県公館では県などが主催する追悼式典に天皇、皇后両陛下が10年ぶりに臨席された。震災で母を失った神戸市西区の英語塾経営、小河昌江さん(51)が遺族代表として「悪い状況の中にも温かい出会いはあり、それは私の心をいつまでも温めてくれます」と言葉を述べた。

 神戸市中央区の東遊園地では「阪神淡路大震災1・17のつどい」(市など主催)が開催された。会場では約1万本の竹灯籠で「1995 1・17」の文字が浮かび上がり、発生時刻に合わせて1分間黙祷し犠牲者の冥福を祈った。午後には2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災地への思いを込めて「3・11」の文字もともり、発生時刻の午後2時46分に参列者が東北地方の方角を向いて黙祷をささげた。東遊園地には、昨年の約2.4倍で過去最多となる約7万5000人(午後5時現在)が訪れた。

 1995年1月17日に発生した阪神大震災は、近代化された都市を襲った未曽有の災害だった。しかし、震災5年で仮設住宅は解消し、10年で街がほぼ復旧。神戸市に災害医療や、心のケアなどの拠点施設が整備され、さまざまなボランティア活動が展開された。

 一方で、課題も残っている。被災者向けの災害復興公営住宅のうち、自治体が民間などから借り上げた住宅が2015年度から順次、20年の返還期限を迎える。

 神戸市などは年齢や要介護度など入居継続の要件を設けているが、高齢者や障害者の孤立がますます深まることが懸念されている。

 ≪「母のおかげで生きている」 思い出抱き、美容師に≫

 「私が今生きているのは母のおかげ」。阪神大震災で母を亡くした神戸市東灘区の美容師、銘田奈津紀さん(26)は、これまで胸にしまい込んできた思いとともに、東遊園地で開催された「1・17のつどい」で遺族代表あいさつに立った。

 悲しみを乗り越え、美容師になる夢をかなえた銘田さん。時折声を震わせながらも、母、さつきさん=当時(33)=の分まで生きることを誓った。

 激震で当時住んでいた自宅は全壊、さつきさんは亡くなった。毎日、一緒に寝ていたが震災前日だけ深夜の歌番組を見ようとして珍しく叱られた。すねて4歳年上の姉の部屋で眠り、助かった。

 震災後は、祖父母らと暮らした。さつきさんのことを聞くと、家の中に重い空気が流れた。「ママのこと、話しちゃいけないのかな…」。口にしなくなった。「みんなが悲しむから。でも、決して忘れたわけではない」

 よく一緒に風呂に入り、髪の毛を乾かし合った。「私は直毛だけど、母はくせ毛。引っぱっても伸びない髪が不思議だった」。何げない親子のひととき。「幸せで大事な時間だった」。さつきさんと笑顔でいられた思い出から、小学3年のころには美容師を志すようになった。

 高校卒業後は大阪市内の美容専門学校に入学した。「ママの髪を切ってあげることはできない」。無力感にさいなまれ、学校から足が遠のいた。「ママに笑われるで」と友達から励まされ、留年したが卒業した。

 2010年に国家試験に合格し、昨年8月にはスタイリストとしてデビュー。「一人前になるまで待っていて」。9月、育ててくれた祖母の清恵さん(84)を店に招待した。精いっぱいのおしゃれをして来てくれたことを忘れない。「べっぴんさんにしてくれてありがとう」。スタッフにも大きな声でお礼を言う祖母。「ようやく恩返しができたかな」

 「東北の被災地で子供たちの髪を触ったり、話を聞いたりしてあげて笑顔が増えていくといいな」。次の夢もできた。

 まだ2歳にならない姉の娘は、自分の母親とそっくりな、さつきさんの遺影を見て「かあか」と呼ぶ。みんなも笑う。やっと家族とさつきさんのことを話せるようになった。

 「話をしないからといって震災のことを忘れたことはない。生きることは難しく、つらいときもある。それでも母の分も強く生きていく」(SANKEI EXPRESS

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