ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
社会
津波犠牲 教習所に19億円賠償命令 仙台地裁「避難義務あった」
更新
常磐山元自動車学校に損害賠償を命じた津波訴訟の判決後、遺影を抱いて記者会見する教習生の遺族ら=2015年1月13日午後、宮城県仙台市青葉区の仙台弁護士会館(共同) 東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県山元町の常磐山元自動車学校の教習生25人とアルバイト従業員の女性=当時(27)=の遺族が学校側に約19億7000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、仙台地裁であり、地裁は「教習所に津波が襲来する可能性を予見し、速やかに教習生らを避難させるなどの義務があった」として学校側の責任を認め、計約19億1000万円の賠償を命じた。
震災で津波犠牲者の遺族が学校側や勤め先など管理者を相手取った訴訟の1審判決は4件目で、損害賠償が認められたのは、園児5人が死亡した宮城県石巻市の日和幼稚園の訴訟に続き2件目。従業員に対する責任を認めたのは初めて。
高宮健二裁判長は、消防車両が教習所の前を走り、避難を呼び掛けていたことから「教習所に津波が襲来することを具体的に予期し得た」と指摘。「速やかに教習生らを避難させ、安全なルートを通って送迎先に送り届けるなどの安全配慮義務があった」とし、教習生らの死亡には相当な因果関係があると判断した。
判決によると、2011年3月11日午後2時46分の地震発生後、海岸から約750メートルの教習所は授業再開を検討し、教習生を敷地内に待機させた。その後打ち切りを決め、午後3時40分ごろ、教習生が分乗した送迎車などを出発させたが、津波にのまれ、4台の23人が死亡した。発生時に路上教習で内陸側にいた2人は、海側の教習所に戻った後、徒歩で移動中に被災した。
教習生は当時18~19歳。アルバイト従業員の女性は、教習所か周辺で津波に巻き込まれた。学校側は津波の到来は予見できなかったとして請求棄却を求めていた。学校側は「コメントは差し控える」との談話を出した。
教習生25人の遺族が11年10月に提訴。女性の遺族も12年4月に訴えを起こし、一緒に審理されていた。
≪「やっといい報告できる」「危機管理意識の向上を」≫
「やっと子供たちにいい報告ができる」。東日本大震災の津波で宮城県山元町の常磐山元自動車学校の教習生25人とアルバイト従業員の女性が犠牲となり、遺族らが賠償を求めた訴訟。仙台地裁が13日、約19億1000万円とほぼ満額の賠償を命じる判決を言い渡し、遺族らは安堵(あんど)の表情を浮かべた。
一方で経営者らの個人責任が認められなかったことに対する不満も吐露し、今後も震災の教訓を伝える活動を続けたいと語った。
「毎日写真を見ていると、本当に笑っている顔のときと、泣き顔に近い顔と感じるときがあるんです。今日はその中間ですね」
判決後に仙台市内で開かれた記者会見。アルバイト従業員で長女の大久保真希さん=当時(27)=を亡くした原告で父の三夫さん(62)は判決を評価する一方で、笑顔の真希さんの遺影を見つめながら複雑な表情を浮かべた。
真希さんは普段から災害に備え、枕元に救助を求めるための笛を置き、動きやすい上下スエット姿で寝ていたという。人一倍用心深い娘があの日、津波からなぜ逃げなかったのか-。三夫さんが2012年4月に訴えを起こしたのは、そんな切なる思いからだった。
「いい判決をもらった」。三夫さんはこう述べたが、学校経営者の責任を認めなかった点については不満を口にした。「社長の陳述を聴くと、自分には全然責任はないという感じだった。何もせず『知らなかった』で済まされるのだと思うと腹だたしい」
震災から3年10カ月がたった今も真希さんの遺骨は見つかっていない。「企業は従業員の命を一番に考えてほしい。災害時は『仕事なんてどうでもいいから帰れ』と判断してほしい」と訴えた。
三夫さんの後で、教習生の遺族ら三十数人も会見した。教習所に通っていた長男の寺島佳祐さん=当時(19)=を亡くした遺族代表の浩文さん(52)は、「日本中の企業・施設のトップの方には、危機管理意識の向上をはかってほしい」と指摘。
その上で「われわれの子供たちのように犠牲が出ないよう、将来にわたってこの犠牲が記憶にとどめられ、今後の防災対策に生かされるようにしてもらいたい」と語気を強めた。(SANKEI EXPRESS)