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社会
【阪神大震災20年】市民44%「知らない」 絆どうつなぐ
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神戸市中央区の東遊園地では、2011年3月11日に東日本大震災が起きた午後2時46分に、「3.11」の竹灯籠を囲み参加者が黙祷(もくとう)をささげた=2015年1月17日、兵庫県(頼光和弘撮) 阪神大震災から20年もの時が過ぎた被災地。このことを象徴する数字がある。「44」。最も被害が大きかった神戸市で、震災の後に生まれたか、市外から転入した「震災を知らない市民」の割合(昨年11月現在)が44%だ。このまま増え続ければ、震災を知らない人の方が多い時代が必ずくる。
地域とのつながり、コミュニティーへの帰属意識も薄れていく。
兵庫県が昨年1月に行ったアンケートで「最近1年以内に地域の防災訓練に参加した」と答えた人も35.1%だった。その事実は、命を守ることや高齢化社会を暮らしていくことと無縁ではない。
20年前のあの日、消防など公的救援がままならない中、住民は「ここの家は1人だけやない、まだおるで」などと声をかけ合い、救助に当たった。
近隣住民が助け出した被災者は、実は救助された被災者全体の約8割、約2万7000人にも上る。避難した先の避難所などでも「いたわり」や「支え合い」があった。
国の「高齢社会白書」(2014年版)が、「世界のどの国も経験したことのない高齢社会を迎えている」と警鐘を鳴らす日本。国の施策には限界があり、被災地でみられた「いたわり」や「支え合い」、つまり「共助」の重要性が高まっていくはずだ。
作家の司馬遼太郎さんは震災の約2週間後、「(都市的な自由と下町的な人情が溶け合った)神戸のユニークな市民の心は、この百難のなかで、かえって輝きを増した」と書いた。
震災で学んだ「絆」の大切さを若い世代に引き継いでいくことは、被災地だけの課題ではない。(牛島要平/SANKEI EXPRESS)
≪実体験ない世代 風化させないため「伝え続ける」≫
阪神大震災の実体験がない世代が、社会に出ようとしている。神戸市長田区の大学生、今井直人さん(20)もその一人だ。防災を専門に学ぶ兵庫県立舞子高の環境防災科を卒業し、関西大で自然災害を専攻する。「震災の記憶はない。でも、この町で起きたことを伝え続ける」と前を向く。
今井さんの夢は2つある。1つは防災のプロになること。もう1つは誰もが助け合える社会を実現することだ。
「被害が大きかった駅の南側を向いて『頑張れ』って励ましてくれているんやで」。16日、JR新長田駅近くにある復興のシンボル「鉄人28号」像の前で、今井さんが舞子高の後輩3人に語り掛けた。震災の記録を知ってもらうための「町歩き」の一環だ。1時間半で、震災後に区画整理された地域や復興した商店街を回った。
震災当時は生後11カ月。奈良県五條市に住んでいた。長田区で被災した祖父母の面倒を見るため、直後に両親が家族で引っ越してきた。環境防災科に進んだのは、中学の担任の勧めだった。
普段遊んでいた空き地は倒壊した家屋跡地で、新築アパートだと思っていた建物は元仮設住宅。授業で学ぶのは、知らないことばかりだった。
東日本大震災から2カ月後の2011年5月、高校の同級生と宮城県東松島市の被災者宅を回るボランティアをした。戻った宿舎で、同級生がつぶやいた。「被災者から『防災を学んでいるのなら、どうしたらいいのか教えてください』と言われた。答えられなかった」。防災に正解はなく、学び続けるしかないと思い知らされた。
大学では企業の危機管理、復興支援についても学ぶ。さまざまな災害に対応する知識を備えるためだ。昨年春には、被災地に行ったことがない約40人を連れて宮城県南三陸町を訪れた。
東日本から間もなく4年。「東北の支援なんて、すごいね」。同世代の知人の何げない一言に、世間の関心が薄れ始めていると感じる。「阪神大震災ではなおさら。住んでいるだけでは風化する。だから伝え続けないといけない」。経験のない世代から、次の世代への継承は始まっている。(SANKEI EXPRESS)